制服への憧れもある一方で
みんな同じものを着ることでの統一感
本当は誰の為なんだろう
少し前ですが、兄者の学校の後輩が新聞に寄稿を寄せていました。
通信制高校へ来てから、校則がない事、制服も(一応あるものの)指定がないことにとても驚いたとあり私も同感でした。
一つには入学時からの在校が少ないこともあるでしょう。途中で転校してくるケースが非常に多い。そこでまた制服を新調するのは経済的にもとても負担がかかります。それに毎日登校すること自体、割と厳しい状況な生徒さんも多い。
そして私服OKで校則もありません。入学説明時に学院長先生に確認した時には
『校則、ないですね―。しいて言うなら”人に迷惑をかけない”ことぐらいでしょうか』とニコニコ穏やかに言われたのを今でも鮮烈に覚えています。
かと言って本当に普通の私服に帽子やアクセサリーを付けている程度。髪型も染めていたりパーマをかけている子もいましたが、そんなに奇抜な恰好をする子もおらず。『おっ、この子おしゃれだな』と思う子はデザインやヘアメイク系の学校へ行く子が多かったように思います。
兄者君はオシャレに無縁で、もうちょい頑張ってくれよな感じでしたがw
そんな中、先生(学校側)の考え方はすごく斬新で、後輩はさらにビックリします。
『制服はあるけれど高いし買わなくてもいいよ。私服でもいいし、前の学校の制服をアレンジしてもいい。売ってある制服を組み合わせて制服を自分で作ってもいいよ』
なかなか自由度の高い学校です(笑)
そして”決められた” ”当たり前” と思っていた事に選択肢があることを知った彼女はその後1か月迷います。
制服も高いけれど、私服だと枚数も必要なため結構お金がかかってしまうこと。
正式な場所に出る際には、制服があった方が何かと便利なこと。
そしてジャケットとスカートは制服にして、気分で変えられるようにお手頃値段の3色のシャツや二つのリボンも通販サイトで状態のいい中古を購入して、半分制服、半分私服という考えに落ち着く。これがスゴい✨
アレンジを加え、なおかつオシャレも忘れず、そして安価におさえる。
この発想はなかったわ―。すごく《考えている》ことが感じられます。
いやホントに感動しました。
この考え方ってステキじゃないですか。
せめて枠はあったとしても、自分で決められる制服。自分だけの制服。
そんなものが選べたらどんなに楽しいだろう。
高校生という多感な時期。
決められたことに反発したくなる年頃ではあります。
そしてハメを外してしまう子もいます。
それを防ぐために、という意識からでもありますが、制服や校則はそこまで必要なのでしょうか。
『社会に出ればもっと厳しい。そのためにも学生の間は我慢を覚えるべき』
その考え方も全否定する気はありません。
でも『言われたことには文句を言わず大人しく従え』という隷従的な意味合も強く感じます。
【考える力や思考の自由】を奪った軍事国家や軍隊の名残のような
また特に思うのが高値化しつつある制服。それなのに不定期に変更とか意味がわからない。どうしても学校と企業の闇を感じてしまう。
結ぶに彼女は
『多様性を尊重し自ら考える子どもを育てることが教育ならば、私の高校のように大人は選択肢だけ与えてほしい。私は一人しか着ていない自分だけの制服に誇りを持ち、とても満足している』
そして今年の成人式。相次いで式典が中止となる中、兄者の学校は卒業生のために学校独自のお祝いの場を設けてくださったそうです。
例年、卒業生が晴れ姿を見せに来てくれるのを、楽しみ待っていてくださる先生方。
広いホールに間隔を取り感染症対策を万全に施しながら、学校や先生方からのお祝いの言葉、成人の主張、心の中で歌う校歌、そして記念撮影と、精いっぱいのお祝いを生徒のためにと、奮闘する先生方が目に浮かびます。
学校ごとに制約もあるでしょう。
先生方も思うように出来ない歯がゆさも感じておられるでしょう。
でも懸命な思いは必ず生徒に伝わります。
10代の貴重な一瞬だからこそ、大切に過ごしてもらいたい。
彼らが大人になった時
『仲間と、先生と過ごした時間』が忘れられない想い出に残るような
そんな場所であってほしいと心から願います。