言葉の代わりに心で考える
イマジネーションを駆使して
もう一歩、その先を
今や当たり前になっているTwitterやFacebook。でもでもなぜか本腰になれないまま今に至っています。
そもそも”つぶやく”ことが出来ない・・・
思わずくすっと笑ってしまう、大喜利のように言葉遊びが効いていて思わず感心してしまうコメントもありますが。すごいなぁとも思う反面、やはり《一言》が余りに手軽に出来てしまうため、どうしても警戒心の方が大きい。
そもそも自分の言葉が知らないところを独り歩きしていく怖さというか。
自分ルールが強すぎて、自分の考えや行動を《正》と思い込む人たち。
そして少しでも外れた他者の言動を徹底的に否定する。
ネット炎上しかり、自粛警察やハラスメントの類。
もう恐怖でしかない💧私はその場で言い返すことが苦手。後々「あぁ言えばよかった」「こう言い返せばよかった」と思いモヤモヤしながら、引きずるタイプ。
言われた時のイヤな言葉とか、不快感とかってずっと残るじゃないですか・・・
なので炎上OKでバシバシやりあってる人なんかは、心が疲弊しないのか不思議です。
私が時代についていけてないだけなのか💧
まぁあまり構われたくない、という性格もあり。
ただの面倒くさがりなのかもしれません(笑)
ですが《情報》の周知・拡散には本当に優れている。スピードや影響力はハンパない。
生産者さんからの直売を探すうちに、とてもそれを実感しました。
『困っています』の声にリアルタイムで反応していく人々の好意には、とても人間味があふれています。こういう善意のやり取りを見ていると、まだまだ捨てたもんじゃないね✨と考えさせられます。
日本人は、生来とても真面目気質。清潔好きで、調和を好む。そんな穏やかさが良しとされる反面、画一的で違いを嫌い、”個”を認めず排他的な所も。
コロナストレスにさらされるもっと前から、こうなんだろう、ゆとりがないというか。人に対しての欲求が強く、自分の意見をドストレートにぶつけてくる、そんな感じがだんだん苦しく思えてきました。
【お互い様】や【ぼちぼち】
そうした感情が、殺伐した毎日の中で消えていってしまい、今や大人のみならず子どもの世界も窮屈でせわしないものになってしまっていて不憫に感じてしまいます。
なんだかとても疲れる世の中になってしまった
気持ちに余裕がない のかな
自分の感情を振りかざす前に、ほんの一瞬立ち止まる。
発した言葉の重みや受け取る相手の気持ちを考える。
簡単なようで、とてもとても難しい。
鈍感になっていやしないか
人の気持ちに、感情に。
感謝の気持ちを忘れていないか。
日常の生活の中で、お店で、すれ違う中で。
自分にも日々問いかけるようにしています。
現実の社会の中で目の前に居る人を大切に出来ないのに
どうして見えないネットの向こう側の人を思いやれるだろう。
傷つくこと、苦しむこと、悲しむこと
もっと想像力を持つことで、解決できる問題がたくさんあると思います。
自分さえ良ければな大人ではなく
もっと優しいあたたかな世の中に
安心して自由に生きていける世の中に
そんな世界を生きる子どもたちであってほしいと願っています。