おめでとう、お姉ちゃん。
どうかずっとずっと元気でいてね。
私と7歳違いの長女の誕生日。
私たち3姉妹はみんな冬生まれ。
長女が今日、私が明日、次女が2月。
本来ならば集まってランチにでも行きたいところだけれど、今はガマン。
シングル街道ひた走りな長女。
母に似て割とキレイどころ。
若い頃は原田知世さんに似ていた。今でいうなら吉田羊さんかな。
料理も母に仕込まれとても上手い。お正月は姉の手料理を食べれるのが1番の楽しみ。
若い頃は結構、いやかなりモテていた。だがどうもうまくいかない。一つには真面目過ぎる性格で、人に尽くし過ぎるのだ💧しかも完全主義を目指すあまり、疲弊してしまう。
おまけに私が嫁に行ってから色々ありすぎ、だんだんと結婚への憧れがなくなってしまった(スマン)・・・歳を重ねてからは人に合わせることがもう面倒になり、『お独り様がいい』と言い出し今に至る。
そんな長女も還暦が近くなってきた。
一緒に父を看取ってからは葬儀場へ自分の分を申し込んだり、保険の見直しやら受取人を私に替えたり、終活もチョイチョイ始めている。
姉妹だと老後もお互い相談しあえるので、こんな時いいなぁとしみじみ思う。
とても気丈な性格で、《長女だから》という使命感が強い。炭次郎なみ。
弱音を吐くことがとても苦手で、不器用だ。ものすごく。
長女と母とはいろんな確執がありすぎて、別居をしてからというものの、完全に行き来を絶っていた。長女の気持ちも分かるだけに、『時がたてば仲直りするでしょ』くらいに思い、放っている間に思いもかけない母の急逝。
姉の気持ちは、永遠に置いてけぼりになってしまった。
そんな母の葬儀の喪主を、義務感と使命感で務めた長女。
辛かっただろう。20代の後半。分からないことばかり。
無事葬儀を終えた後、しばらく寝込んでしまった。
寝込んだ長女に変わり、私と父で遺品を整理し、初七日を行った。
上京して生活していた私だが、母の逝去を機に帰郷する予定でいた。
父までこんな風に失いたくなかったから。
だが向こうへ戻ると友達も仕事も当時付き合っていた人もいた私は、だんだんと気持ちが揺らいでいった。
戻ることを悩み始めていたころ、長女から電話が入った。
『どう、そっちは。いつ頃帰られんの』
ぶっきらぼうに聞いてくる長女に
「うーん、まだしばらくかかるかなぁ・・・」
と答えていると、しばし無言。
あれれ?と思っていると
『早く、お願いだから早く帰って来てよぉ・・・』と電話口の向こうで嗚咽する姉の声が聞こえてきた。
姉が初めて見せる姿に胸がいっぱいになり、それからしばらくして向こうを引き払った。
それからは私が父と同居し、長女、次女との交流も復活していった。
そんな電話のことは、恐らく覚えていないだろう。
私も口にしたこともない。
でも弱音を吐けない姉の姿と母が重なって見えてしまう。
誰よりも繊細なのに、人には強いところを見せてしまう。
全く手がかかる人だ(笑)
しょうがないから、長電話にも付き合うし、たまには一緒にご飯も食べるから。
姉妹で積み立ててるお金で還暦には旅行も行こう。
来年も再来年もずっとずっとお祝いするから
母の分まで長生きしてよね。