不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~親の死~

ケンカばかりの両親だったが

 

なんだかんだ

父が来るのを

母は待っていたような気がする

f:id:hikaru-ko:20200825144808j:plain

父の急逝により

一気に慌ただしい日々になりました。

 

そうは言っても

癌の転移で余命がない事を聞いてから

 

少しづつ

情報収集はしていました。

 

なぜなら

20数年前に我が家は

母も他界しています。

 

当時は父とも離婚し

一人暮らしでした。

 

冬の寒い日

心筋梗塞を起こし

そのまま帰らぬ人となりました。

 

お酒が離婚の原因でもありましたが

まさか心臓とは思いもせず

 

本当に驚くほどあっけなく

逝ってしまいました。

 

私は高校卒業と同時に就職で上京し

その後、アルコール依存が抜けない母は

病院へも入院をしていました。

 

気が強く、でも心の弱い母は

どうしてもお酒がやめられませんでした。

 

問題ばかりの母でしたが

まさかこんな別れになるとは思ってもおらず

 

また長女に至っては

長年側にいたからこその

葛藤や苦しさが限界を超え

母とは絶縁状態でした。

 

唯一結婚した次女が

子どもを連れて遊びに行っていたようです。

 

そんな中での母の死。

 

離婚しているため

喪主は長女になりました。

 

まだその時姉は20代。

 

しかもずっと距離を置いていた母の葬儀。

 

苦しかっただろうと思います。

 

ですが

責任感が人一倍強い長女は

立派に喪主を務めました。

 

その後疲労から倒れてしまいますが・・・

 

 

一方私は

母の死を父からの電話で知り

身一つでしたら、その日のうちに帰る事も可能でした。

 

ですが

現実味がなかったことと

変な所で冷静になる性分もあり

 

葬儀の後、片付け等で

しばらく帰れなくなることを考え

その日の帰省は諦め

長期帰省の準備をして翌日朝イチで

飛行機に乗りました。

 

しばらくぶりに見る母は

変わっておらず

眠っているかのようでした。

 

母の亡骸を目の前にしても

まだ実感がわかない、そんな感じでした。

 

そして離婚してはいるものの

母とも完全に縁を切ったわけでもない父が

外親族の代表となりました(;^ω^)

 

母もまだ61歳と若く、交友関係も広かった事

また姉達も地元の会社、病院勤務のため

仕事でのお付き合いの方も多く

友人たちも皆集まってくれたので

相当数の弔問客になりました。

 

それらの対応、葬儀社との打ち合わせを

すべて長女がしてくれていました。

 

次女は最後一番側で

面倒を見ていたこともあり

また気質も母に近いこともあって

とにかく泣き崩れていました。

 

あまりの取り乱しように

斎場側から

「このままでは出席させられない」

とまで言われ、なんとか落ち着かせたのを覚えています。

 

とにかく初めてのことと

人の多さ、弔問客のお相手で

母の葬儀の事をよく覚えていません。

 

火葬場に行った際に

初めて現実味を感じました。

 

焼いたら、母が消えてしまう

2度と、会えなくなってしまう

 

その気持ちだけが浮かび

「焼いてはダメだ」と無茶苦茶を言ったように

記憶しています。

 

「引き留めると、お母さんが成仏できなくなるよ」

と従妹に言われガマンをしました。

 

そして

長女がスイッチを押しました。

 

母は長女にものすごく依存していました。

 

学力やその他過重な期待を

長女一人にかけていました。

 

その精神的な負荷は

耐えがたいものだったでしょう。

 

マジメな長女は

ごまかすことも

逃げることもできず

ひたすら耐えていました。

 

まだ子どもがいた次女は

自分の生きがいや、生きる意味といったものを

持てたので良かったのでしょうが

 

絶縁の末、2度と話すこともできなくなった

母の死は

長女に永遠のトラウマを残したような

気がしてなりません。

 

 

私も今子育てをしていて

たくさんの間違いをおかしながら

やってきたことを感じます。

 

きっとみんなそう。

 

子どもにとって

良かれと思ってしていたことが

実は間違っていたり

 

思い込みで

子どもを追い詰めていたり

 

きっと誰もが経験をし

 

間違いの中で

 

学んでいくのだと思います。

 

 

今だからこそ分かる

母の思いや苦しみがあります。

 

屈折してしまった母の気持ち

子どもへの愛情が

いつか長女にも伝わる日がきてほしい

 

 

不器用な母が何よりも伝えたかった

愛してるよ、の気持ち

 

 

 

そして

父の時は

みんなでゆっくりとお別れをしたい。

 

温かな

穏やかな時間の中で

父をみんなで送りたいと

それだけを願っていました。