不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~譲れない思い~

形式にとらわれず

 

明るく見送りたかった

 

精いっぱいの

愛情と感謝をこめて

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簡素でいい

心のこもった葬儀と

ゆっくりお別れの時間を

取りたかった私たちは

 

親族控室が広いところで

子どもや孫と

気兼ねなく過ごす家族葬を選びました。

 

コロナもあるため

オードブルや鉢盛りはやめ

○○膳のような高いものも取りませんでした。

 

だって食べるのないんだもん・・・

 

ですがお通夜の晩にとった

精進料理のお弁当はとても美味しく

子ども達も喜んで完食していました。

 

仕出し屋さんではなく、

たまたま近くの和食のお店でしたので

49日忌の時も、こちらにお弁当を再度お願いしました。

 

音楽が大好きだった父のために

ずっとジャズ音楽を流し続け

弔問客が一段落した後に

弟君がギターを弾いたり

甥っ子が電子ピアノを弾いたりと

 

ものすごくにぎやかなお通夜(笑)

 

またお世話になった斎場は

手作りの朝ごはんも

サービスしてくれるところでした。

 

最期に『おとき』と言って

個人とお別れのお膳を取ることが多いのですが

これがまた食べるものがない割にお高い。

 

斎場が用意してくださった

炊き立てのご飯とお味噌汁、

お漬物の朝ごはんは、

父が喜ぶ何よりのごちそうでした。

 

なのでそれに

こちらで用意した漬物を数種類追加し

おときにしました。

 

そして父が生前お世話になっていた方に

読経をお願いし、無事葬儀が終わりました。

 

その後火葬もスムーズに終え

自宅に戻る途中、頼んでおいたお弁当を受け取り

帰ってから精進揚げを行いました。

 

かなり簡略化したので

葬儀代は40万ほどで済みました。

 

でも私たちにとっては、満足のいく葬儀ができたと

思っています。

 

義実家にしても

生前から父と懇意にしてくれていたのなら

違ったのかもしれません。

 

ある程度、親戚づきあいや

人間関係が大事なことも分かっています。

 

だから

結婚してから今まで

義実家のいうことに逆らったことは

ありません。

 

だから初めて

私が言うことを聞かないことに

腸が煮えくり返っていたのだと思います。

 

今までどんなに理不尽な事でもガマンをし

『良い嫁』を努めてきました。

 

結婚すれば、嫁ぎ先に従うものと

私なりに思っていたからです。

 

 

ですが

私の親にまで我慢を強いるのにも

限界がありました。

 

そして

兄者が不登校になってから今まで

 

子ども達に向けられた態度も言動も

自分たちの見栄や世間体が一番だった義実家

 

それに対し

言いたいことはたくさんあっても

ひたすら黙って辛抱強く待ってくれた父

 

子ども達の心の中でも

色んな思いがあったようです。

 

 

 

逝去から葬儀の間

ひたすら割り込んで来ようとする

義両親と義兄に対し

私と姉達は嫌悪感がぬぐえませんでした。

 

そしてどっちつかずな主人。

 

「お父さんはこちらの人間だから

主導権はこちらにある」と

最後まで曲げない割に

陰でコソコソと葬儀代を確認し

姉妹で分割するのを聞いて

「当然よね」と

 

お通夜の晩、主人とは皆誰も

口を利きませんでした。

子ども達でさえ怒っていました。

 

かわいそう、なのかもしれません。

 

でも私は

父をかけらも大切に思っていない人に

触れられたくなかった。

 

最期のお別れの時まで

私も父も我慢するのは違うと

 

これだけは譲れませんでした。

 

 

我慢することが

決して良い事ではない

 

イヤなことはイヤだと

言ってもいいんだということを

 

兄者との日々の中で学びました。

 

そして

無事送りおえたことと

子ども達の成長をものすごく感じられたことを

嬉しく思いました。