不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

成人の日、オトナの仲間入り

大人の仲間入り

 

タバコもお酒もOK!

 

そして責任が伴うことも忘れずに

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高校卒業後、寮付きの職場へ就職してからも、年に1度は帰省させてもらってました。


同期も北海道から沖縄まで。

社長自らが九州出身ということもあり、ふるさと休暇みたいなものもあり、日航系列でしたのでJALであれば1年に1回、また冠婚葬祭に限っては、100%優待券も配布する気前の良さでした。

 

それでも全く見えない娘の生活。

寮とは言ってもかなり自由でしたw

 

家を出て上京する際に、父に言われたことがあります。

『酒も飲んでいい。夜遊びもしてもいい。でもタバコだけはやめてくれ

18歳の娘にムチャクチャな(;・∀・)

しかも当時父も母もヘビースモーカー。副流煙の害の方が絶対大きいって💧

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それでも父は真顔で

『いつか子どもを産むときがくるだろうから。そのためにタバコだけは吸わんでくれ』

 

今のご時世色々と言われそうですが、でも父にとっては離れて暮らす私を心配しての事でしょう。

素直に「わかった」と、タバコだけは吸いませんでした。

 

そしてよく言われていたのが

「するもしないも自由。自己責任」

これは姉たちも言われていました。

 

父に言わせると

『学校も勉強も、自分で決めること』

なので私たち姉妹は両親から『勉強しなさい』と言われたことも

『学校へ行きなさい』と言われたこともありません。

 

行きたくないな―と休んでも何も言われません。

そのままズルズルと休んでいても、何も言われない。

そうするとこっちが不安になってきます。

「あれ、そろそろ行かないと私ヤバくない💦」

 

自主性を重んじていたのか、放任主義だったのか。

どっちもですね(笑)

 

そんな両親ですが、私が成人を迎えた年、離婚をしました。

私が成人するまではと、待っていたそうです。

 

ずっと仲が悪かったので、「別に待たなくてもよかったのに・・・」というのが本音でしたが、そこは親として子供への責任感だったのでしょう。

 

そうは言っても、母も何かしら困った時は父に連絡を入れてましたし、父もそれに対して当たり前のように助けていました。

翌年母の還暦のお祝いの時は、父も交えてお祝いしました。

なんだかよくわからない繋がり(笑)

決して家族和気あいあいではなかった私たち家族にとっては、離れて暮らすという選択肢が一番ベストでした。

 

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家族であること

親子であること

 

独り立ちするまでが親の役目

そこから先は自力です

 

それでも困った時は

親子で、姉妹で助け合う

 

私にとってはつかず離れずの家族の距離感が一番心地よいものでした