不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~姉と妹~

私の自慢の姉達

 

大好き

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父の死は

だいぶ前から覚悟はしていたものの

 

実際は

あまりのスピードに

『ちょっと待ってよ』という

気持ちでした。

 

一緒に暮らすものに

負担をかけたくないとの

父の思いも入っていたのでしょうか

 

全くと言っていいほど

手を取らせることもない

静かな旅立ちでした。

 

ですが

やらなくてはいけない事は山ほどあり

 

もちろん

いろんな初めてのことだらけです。

 

ある程度想定はしていたものの

不安でしかありませんでした。

 

実際癌の転移が分かってからは

葬儀、納骨に関する資料だけは

取り寄せていました。

 

ですがまだ実感がないのと 

考えたくない、という思いの方が強く

ほとんど目を通しておらず。

 

でもしなくては、と動き出したのは

「3か月」と余命を宣告されてからでした。

 

時間を見つけては斎場に下見に行って

見積もりを出してもらい

最終的に4件ほどに候補を絞っていました。

 

行った先で斎場のホールや

親族の控室などの写真を撮り

見積もりと一緒に姉達へも相談を入れる中

 

姉達から

「喪主はあなたがしてほしい」

と言われました。

 

 

父と姉達は

血縁がありません。

 

私と姉達は

異父姉妹です。

 

長女からは

やはり実子である私がするべきだと。

 

私の中では

ほとんどその感覚がないので

正直「ん???」と

思ってしまいました。

 

姉達と父親が違うと知ったのは

高校3年の時でした。

 

ひょんなことから

親戚から聞かされ

ギョッとして父に聞くと

「あ、そうだよ」と

 

エライあっさりやな。

 

一瞬だけ呆然として

「どういうこっちゃねん・・・」と

涙も出ましたが

 

「あ-!だからお姉ちゃんたちは

似てなくて美人なんだ」

と変なとこで納得してる自分がいました(笑)

 

私の姉二人は

本当に美人です。

自慢です。

母も酒乱ではありましたが

結構な美人さんでした。

 

一方私は

父にそっくりで、まったくパッとしない。

(ごめんねお父さん)

 

小さい時から

「姉妹なのに不公平だ」と

不満でしたが

実情を知り

「なるほど」ど納得しました。

 

変なもので

私の中ではそれで終わりでした。

 

父が違っても

今は家族だし

それでいっか(*´ω`*)

という

 

なんとも風まかせというか・・・・

 

それぐらい私の中では

何でもないことというか。

 

姉達が大好きで

妹であることが自慢だった私は

深く考えもしませんでした。

 

そして今に至り。

 

なので父の葬儀に関しても

実子なので私が喪主に、というよりも

一緒に暮らしていたので私がする

という風にとらえました。

 

私にとっての最大の問題は

義実家。

 

同居してる手前、

喪主は主人になるのかなとも

ちらりと思ったのですが

 

なんせこれまですべての事を

親任せでしてきた主人には、

到底無理な事

 

また主人の名ですると

葬儀の形式等に

向こうの義実家が介入してくること

 

それだけは何が何でも避けたいというのが

本音でした。

 

子ども達の前でも

平気で父を無視する行動や

あからさまに

下に見てのものの言い方や

態度などは

私の中で

許せない澱のようなものになっていました。

 

しかも

まだ意識のある父の前で

「葬式はどこでするの」と

聞いてきた主人。

 

介護申請についても

うんちくや自分の知識だけをひけらかして

まったく何の応援もなかったこと

 

医師から

「今晩でしょう」と危篤を告げられてなお

平気で晩酌をしてるような人に

 

喪主などしてもらいたくなかった。

 

姉達も同じ気持ちでした。

 

なので葬儀に関しての一切は

姉達と決めていること

喪主は姉達の希望で私が務めること

を主人に伝えました。

 

同居させてもらったのは

本当に感謝しかありません。

 

ですが

結婚してからの年月

私も向こうの家、両親、親戚に

必死に尽くしてきました。

 

本当に身も心も削るほど。

 

それを考えても

ここだけは譲れない

 

必死でした。

 

主人は自分が喪主でないことに

少し不満げなものの

かといって自信もないため

あっさり納得していました。

 

ですがやはり

義実家がことごとく

物言いをつけてきました。

 

「家族で見送る」ことに

こだわった私と

義実家の戦いが始まりました。