不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~母とメロンパン~

子どもを育てるようになって

自分の幼い時を思い出す

 

早く大人になりたかった

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私には歳の離れた姉がふたりいます。

 

姉たちは年子だったので、一人幼い私は

小さい頃はまさしく姉達のオモチャでした💦

 

姉達が高校生の時は、私だけが小学生で

もちろん相手にはされず。

 

淋しさもありましたが、

それでもなんやかんや可愛がってもらってました。

 

大人になってからでしょうか。

女同士、なんでも話せる

頼もしい味方になりました。

 

両親は、ちょっと変わり者で。

小さい時は部活動やクラブ、着る服なども

母が全部決めていました。

 

でもそれも

私が小学校の高学年くらいまでで、

それ以降は割と好き勝手にしていました。

 

それからは両親共に放任主義で。

「自分の事は自分で」というスタイル。

 

聞こえはいいですが

母に至っては、体が弱いうえに、気持ちも弱く。

もともとお酒に依存もあり、アルコール中毒の状態でした。

 

ですので

生活全般が「どうぞご自由に」といった感じで

まず朝は起きてこない、

夕飯は気が向いたら作ってある、の日々でした。

 

もちろんお弁当はありません。

 

幼稚園時代は、朝が弱いためお弁当がほぼなく

代替えのような形で用意されるものが、

メロンパンでした。

 

ほぼ毎日メロンパン(;´・ω・)

 

さすがに辛かった。

 

朝ごはんは毎日卵かけごはんだったので

 

大きくなってからは

メロンパンと卵かけご飯が大嫌いでした。

 

(中学校の修学旅行の時、朝食で出された生卵を

皆は卵かけご飯にしてましたが、

私一人だけそのまま飲んでいたため

「研ナオコ」としばらくイジられました)

 

また私も身体が弱く、熱を出すこともしょっちゅう。

幼稚園からよくお休みをする子でした。

 

私がお休みしても、母からは全く何も言われない。

 

おそらく母も寂しかったのでしょう。

 

お休みすると、側にいる。

ずっとくっついて眠っているような人でした。

 

でも一度、幼稚園の帰り道

友達と一緒にいたくて、

全然違う班に紛れて帰ったことがありました。

 

今みたいに、お迎え必須とかではなかったので

ある程度の場所まで来たら、先生たちも帰ってしまいます。

 

当然ながら、迷子になりました。

 

公衆電話から、泣きながら家に電話を入れました。

 

すると

「自分で勝手なことしたんだから、一人で帰っておいで」

ガチャン!ツ-ツ-ツ-・・・

 

え?マジ?

 

どうにかこうにか、自力で帰りました(;'∀')

 

子どもながらに、悟りましたね。

「親をアテにしてはいけない」(笑)

 

それでも小学校までは、まだ母の体調も良かったのもあり

遠足や運動会といったイベント時には

頑張って重箱のお弁当をいくつも作ってくれていました。

 

それも中学校に上がると、弁当も作れなくなり。

 

代りに姉達が作って届けてくれていました。

 

普段家ではジャージ姿の姉貴が

めちゃカワイイ格好して

「ハイ、お弁当❤」

と届けにくるもんですから、目を疑いました。

 

姉達は(私と似ておらず)結構キレイでしたので

周りの友達からは、ものすごく羨ましがられました・・・

 

そんなこんなで

中学、高校と

よく考えれば、結構お休みしていました。

 

でも、父も母も何も言わない。

「勉強しなさい」も一度も言われたことがありません。

 

あまりに放ったらかしにされるので

『そろそろヤバイな』と学校へ行く、そんな感じでした。

 

ムチャクチャですね(笑)

 

でも家の中はそれなりに荒れていたので

私なりの反抗心もあったように思います。

 

いいんだか悪いんだか

すっかり放任主義で育てられたため

おかげで自立精神だけは育ちました。

 

父も基本干渉はしない人で

それでも困ったことがあれば

相談に乗ってくれていましたし、

必要なものがあれば、やりくりして

準備してくれていました。

 

子どもが決めたこと、やりたいことには

反対しない人でした。

 

ですが、とにかく家から出たい一心の私が

上京して就職を決めた時だけは

さすがに渋っていました。

 

「そんなに遠くに行かなくても、

同じような仕事は近くにあるじゃないか」

という父の言い分ももっともでしたが

なにせ家から出たい私は、譲りませんでした。

 

すると、応援してくれたのが、母でした。

 

「女の子でも、一度は家から出たほうがいい」

 

母自身も若い頃、田舎から上京していた経験がありました。

 

なんとか父を説得し、家を出ることに成功しました。

 

1年に1度くらいのペースで帰省してましたが

いつも空港に送迎してくれるのは父だけ。

母は「いやよ。きついのに」と

私が帰るときは寝ていて、

一回も見送りに来てくれたことはありませんでした。

 

冷たい人だな、くらいにしか思っていませんでした。

 

後年、

「遠くに行くのが分かっていても

目の前で旅立っていく姿は、見きれなった」

と母の本音を知りました。

 

ご飯も作らない

洗濯も掃除もしない

誕生日には一人で白いご飯だけ

お酒を飲んで暴れたり

灰皿が飛んできたり、ぶたれたり

 

・・・いい思い出とは言えないけれど

それでも母なりに必死だったこと

 

今、親になったから、わかること

 

「ありがとう」を伝えないまま

お別れしてから23年が経ちます。

 

親って、本当に

難しいものですね。