不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

成人の日、母を想う。

新成人の皆さん、おめでとうございます。

 

たくさんの困難な中で今日を迎えられた皆さん。

厳冬の冬を超えて桜が咲くように

向かい風に乗って飛びたつ飛行機のように

きっとこれから、広く大きく羽ばたいていくでしょう

 

あの日の私は、とんでもなく子どもでした

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今年の成人式は

予定通り開催するところ。

中止のところ。

リモートでするところ。

時間を区切って分けるところ。

ドライブスルーでするところ。

様々ですね。

 

一生に一度、人生の大切な節目だから

お祝いする場がない、っていうのは本当に残念なことです。

 

気持ち的にもですが、晴れ着を着る機会などめったにないので、貸衣装さんなどでも別の日に貸し替えするところも出ていたり、いろんな対応策を考えてくれているようです。

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さかのぼること20数年前の自分の成人式。

上京していた私は同期の子と一緒に、前後にずらす形で5日ほど帰省のお休みを頂きました。

 

ですが限られたお休みの中友達と会うことに忙しく、ほとんど家にはいませんでした。

 

長女は成人式の際自分のローンで着物を買い、1歳違いの次女はそれを借りていました。

ですが私には似合わない色と柄だったので、自分の成人式の時はレンタルするつもりでいました。

ところが母は私用にと、着物を注文してくれていたのです。

 

母は破天荒な人で、気も強く、毎日お酒を飲んでは寝ている人でした。

父とも仲が悪く、私を含め姉たちとも毎日喧嘩が絶えず。家の居心地が悪いのもあり高校卒業と同時に私は家を出ました。

 

そんな母が頼んでくれた着物も、私のためというより単なる見栄だろうと感謝するどころか気にも留めませんでした。

 

我が家はお金がなく、私の服も姉たちからのお下がりばかり。

6年の歳の差がありますから、流行りどころではなく、本当に恥ずかしかったのを覚えています。

高校生になりバイトを始めてやっと服を自由に服を買うことが出来ました。

自転車も不燃物で拾ってきたものに、サドルだけ付け替えたもの。

とにかく貧乏で、何かを買ってもらった記憶がありません。

 

とにかく働きたい。自分でお金を稼ぎたい。

その一心で上京しました。

家を出る際に、父から生活費として10万円と、寮の個室にローンで買ったであろう、テレビと小型冷蔵庫を送ってもらい、それ以降は自力で生活をしてきました。

 

その時の父に出来る精いっぱいだったと思います。

 

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そして成人式の前日、部屋にかけられていたのは、えんじ色で裾に花がちりばめられたきれいな着物でした。

 

母自身も特に何も言わず、私もその時は久々の友達との再会が楽しみで、「キレイだな」くらいの印象しかありませんでした。

 

母は喧嘩や手が出るのは早いのですが、口下手で。

優しい言葉をかけることも、自分自身の弱さを見せることもできない、不器用な人でした。

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昔の人なので着物は自分で着れる母でしたが、人に着せるのはまた違うようで。

当日は着付けから美容院もすべて母が手配してくれていました。

 

朝からとにかく慌ただしく、髪をセットしてもらい、着付けをし、写真館に行って記念撮影をし、市のホールへ駆けつけました。でもベビーラッシュの世代だった私たちは人数がとても多く入りきれず。結局エントランスで集まった友人たちと記念撮影をするので精いっぱい。

 

小学校からの友人たちや幼馴染、隣に住んでいた男の子、久々に会う友達はみんなスーツや着物でなんだか照れくさくもあり。

お互いはしゃぎまくりながら写真を撮ったなぁ

 

親戚に見せにも廻りました。そうは言っても父も母も県外の出身でしたので、従妹の家くらい。

でもせっかくの着物姿、日本庭園が美しいところへ出向き家族で写真を撮りました。 

 

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その後は夕方から小、中、高校とクラス会が立て続けに控えていて。

家に帰ってからはひどいもんでした。

着物を母に脱がせてもらい、UPにしていた髪をどうにかこうにかほどいてもらい、脱ぎ捨てた着物は母にお任せし、スーツに着替えて飛ぶように出かけていきました。

 

私も中々会えない友達に会いたい一心でしたが

両親にしてみれば、ゆっくり祝ってあげたかっただろうに

そこまで思いやる余裕も、お礼をいうことすらないほど全くの子どもでした。

 

 

それからわずか2年後、母はこの世を去りました。

 

 

そして母から贈られた着物は

主人との結納の時に、再び日の目を見ました。

 

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大人になり

妻になり、母になり

分かった母の気持ちがたくさんあります。

 

今ならきっと

お互い言い争うこともなく

穏やかに気持ちをつたえあうことも

ゆっくり話をすることもできただろうと思います。

 

 

あの日の着物は、きっと母なりに、早くに親元を離れた私へせめてもの親心だったと、ずいぶん後になって気づきました。 

 

私のえんじ色の着物に込められた母の想いを

思い返しています。

 

ありがとう、って言いたいけれど

やっぱりまた会ったら喧嘩するかもね。

 

それでもいいから、もう一度あの着物姿を見せたいです。