不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

もっとドラマの世界を楽しもう

正直”星野源”さんは、そんなに好きでも嫌いでもなく。

【MIU404】を見てからカッコイイ!と思うようになった。

 

でもやっぱり新垣結衣さんはカワイイな🥰

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週刊はてなブログ】をたまたま見てて

ドラマに対するいろんな人の感想をあれこれと知り、ほほぅとなりました。

blog.hatenablog.com

 

このはてなブログ、正直未だに使いこなせておりませぬ。

(;・∀・)💦

 

いろんな人の色んな見方や意見はオモシロイ。

自分にはない気づきや、考え方ってとても勉強になります。

 

ドラマの方は、夫婦別姓だったり、育休取得なんかは、ああ時代が変わっていってるんだな、と思いながらしみじみ見てました。

自分の時はそういう思考すらあり得なかった分、ボーダーレスなドラマの世界はまぶしかった。

いろんな物事に対して『当たり前』としてスルーするのではなく、『それはナゼ?』とキチンと考えなくてはいけなかったのですね。

 

うちはもちろんなんの議論もなく私が主人の姓に替え、

私一人で育児をして、主人は子育てはおろかオムツも離乳食もノータッチ。

それが当たり前な世の中だったから。

注※地域性の問題で昭和生まれです

 

でも、思います。

 

旦那さんの家も奥さんの家も同等に大切にしていたら。

育児も1番大変だけど1番愛おしい大切な時間を、夫婦で協力して過ごしていたら。

 

もっと人生はハッピーになっていたんじゃないかな

 

だから息子たちがドラマを見ながら

結婚すると男性優先の姓になることを「それっておかしいよね」とか言ってくれることが嬉しい。

「こんな古い制度、日本だけだからね」と話しながら、主人は一切知らん顔ですが。

 

ジェンダー問題についても、ドラマやマンガ、映画をきっかけに子ども達とも話すようになりました。

 

相手が素敵な人だったら、そりゃ好きになるわな。

それを否定しない、自分でありたいし子ども達もそうあってほしい。

 

そしてなんといっても男性が家事育児を頑張ってる人はカッコイイ。

もうブログのお料理男子の皆さんに至っては神か仏か✨

 

以前兄者が「どうして彼女に作ってもらいたい手料理が”肉じゃが”なんだろうね」と言ってきましたが

「今や、”彼女に作ってあげたい手料理”の時代なんだからね。作ってもらおうなんて考えしてたら捨てられるよ」と言いました(・∀・)

 

お互い同等のパートナー。

困っていたら助けあう、そんな関係を築いてもらいたい。

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topics.tbs.co.jp

 

よく配信のあとに「現実的におかしい」とか「設定が矛盾している」とかすぐ言う人がいるけれど。

だってドラマなんだもん。

もっと力を抜いて楽しめばいいのに。

 

なんにでもかんにでも、すぐに中傷や批判する人が多すぎて、この先が心配です。

何かに対して自分の意見が『正』みたいにして、相手を否定したり指摘したり、貶めるみたいな言い方は、見ていてとてもゲンナリしてきます。

 

無理に同調しなくてもい―よ。

でもいろんな考えがあっていいじゃん?とは考えないのかな。

 

そして最近は深夜帯の方が面白いドラマやマンガが増えているような。

 

どこにも行けない分、テレビの世界で楽しみましょう♪

 

 

医療崩壊、ホントにヤバイ。

各々ができること

 

ほんの少しの意識を持つことで

変わっていけると信じたい

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主人の勤め先は福祉施設

 

次男の新聞配達で準備をしている早朝時間、電話がかかってきました。

どうも入居者の一人が転倒されたらしく、救急搬送しますとの連絡でした。

 

結構この連絡は多いんですね。そしてとても骨折しやすく、そこから寝たきりになりやすい。

 

通常は宿直担当が救急へ同行して、その間に管理者が病院へ向かい引き継ぐことになっているのですが。

今回、搬入先の病院の連絡が待てど暮らせど来ません。

病院が分からないことには、動きようがない。

 

それからしばらくしてから再度連絡があり、いつも行く救急病院ではない、あまり聞かない整形外科へ。

しかも救急受付はしていないので、受付時間まで待たされているとのことでした。

 

コロナでの病床数オーバーで、どこも救急の受け入れが出来なくなっているのです。

今回の整形もかなり渋られたようで、どうにか受付してもらえたそうで。

 

主人は休みということもあり、たまたま病院近くに住んでいる別の職員が向かうことになりました。

そしてやはりというか、大腿部骨折ということで即入院となりました。

 

医療崩壊をテレビのニュースではなく、現実に感じました。

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ロックダウンや法的拘束力が弱い日本。

 

国民の善意に訴えるしか策はないとしても

官僚自身がフラフラと飲み会に参加する現状や、すべてが後手後手に回っている感の拭えない政府。

 

なんといっても、菅さんからは緊迫感や必死さがどうも感じられない。

官房長官時代は冷静賃沈着で、もっと質疑応答にもはっきり応じていただけに、期待のし過ぎだったかなと思わざるを得ません。

やはり大将の器ではなかったのかなと失礼ながら思ってしまいます。

 

あの安倍さんの方がマシだったとさえ思えてくる・・・

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とにかく、出歩かない、人と接触しない。

昼も夜も

私は12月から姉たちとも会っていませんし、お互い今は我慢だねと話していて、お年玉もお預け状態💦

それでも子どもたちも「今はその方がいいよ」と言ってくれる。

 

だから猶更、正月だから、命日だからと

親戚で集まって会食する義親やその親族が本当に怖い。

我が家へもわざわざ上がってきては、2階をウロウロしたり、長話をしたがる。

自分たちがウイルスを持っているかも、という危機感ゼロです。

 

皆さん高齢者ですよ―

1発でアウトですよ―

 

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今やうちは食料品も週に1度、日用品とまとめて買いに行き、私も子どもも学校とバイト先以外はヒキコモリです。

遊び歩いていた主人でさえ、大人しくしています(笑)

 

人の命がかかっているのだから、「私は関係ない」ではなく

出来る限りを少しづつしてことで、変わっていけるものと信じています。

 

 

それでも時にはあえてお店のテイクアウトやお弁当を頼んでみたり。

SNS等をうまく利用しながら、飲食店にも頑張ってもらいたい。

 

あと少し、もう少し。

春は必ず、やってきます。

 

 

 

成人の日、オトナの仲間入り

大人の仲間入り

 

タバコもお酒もOK!

 

そして責任が伴うことも忘れずに

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高校卒業後、寮付きの職場へ就職してからも、年に1度は帰省させてもらってました。


同期も北海道から沖縄まで。

社長自らが九州出身ということもあり、ふるさと休暇みたいなものもあり、日航系列でしたのでJALであれば1年に1回、また冠婚葬祭に限っては、100%優待券も配布する気前の良さでした。

 

それでも全く見えない娘の生活。

寮とは言ってもかなり自由でしたw

 

家を出て上京する際に、父に言われたことがあります。

『酒も飲んでいい。夜遊びもしてもいい。でもタバコだけはやめてくれ

18歳の娘にムチャクチャな(;・∀・)

しかも当時父も母もヘビースモーカー。副流煙の害の方が絶対大きいって💧

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それでも父は真顔で

『いつか子どもを産むときがくるだろうから。そのためにタバコだけは吸わんでくれ』

 

今のご時世色々と言われそうですが、でも父にとっては離れて暮らす私を心配しての事でしょう。

素直に「わかった」と、タバコだけは吸いませんでした。

 

そしてよく言われていたのが

「するもしないも自由。自己責任」

これは姉たちも言われていました。

 

父に言わせると

『学校も勉強も、自分で決めること』

なので私たち姉妹は両親から『勉強しなさい』と言われたことも

『学校へ行きなさい』と言われたこともありません。

 

行きたくないな―と休んでも何も言われません。

そのままズルズルと休んでいても、何も言われない。

そうするとこっちが不安になってきます。

「あれ、そろそろ行かないと私ヤバくない💦」

 

自主性を重んじていたのか、放任主義だったのか。

どっちもですね(笑)

 

そんな両親ですが、私が成人を迎えた年、離婚をしました。

私が成人するまではと、待っていたそうです。

 

ずっと仲が悪かったので、「別に待たなくてもよかったのに・・・」というのが本音でしたが、そこは親として子供への責任感だったのでしょう。

 

そうは言っても、母も何かしら困った時は父に連絡を入れてましたし、父もそれに対して当たり前のように助けていました。

翌年母の還暦のお祝いの時は、父も交えてお祝いしました。

なんだかよくわからない繋がり(笑)

決して家族和気あいあいではなかった私たち家族にとっては、離れて暮らすという選択肢が一番ベストでした。

 

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家族であること

親子であること

 

独り立ちするまでが親の役目

そこから先は自力です

 

それでも困った時は

親子で、姉妹で助け合う

 

私にとってはつかず離れずの家族の距離感が一番心地よいものでした

 

成人の日、母を想う。

新成人の皆さん、おめでとうございます。

 

たくさんの困難な中で今日を迎えられた皆さん。

厳冬の冬を超えて桜が咲くように

向かい風に乗って飛びたつ飛行機のように

きっとこれから、広く大きく羽ばたいていくでしょう

 

あの日の私は、とんでもなく子どもでした

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今年の成人式は

予定通り開催するところ。

中止のところ。

リモートでするところ。

時間を区切って分けるところ。

ドライブスルーでするところ。

様々ですね。

 

一生に一度、人生の大切な節目だから

お祝いする場がない、っていうのは本当に残念なことです。

 

気持ち的にもですが、晴れ着を着る機会などめったにないので、貸衣装さんなどでも別の日に貸し替えするところも出ていたり、いろんな対応策を考えてくれているようです。

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さかのぼること20数年前の自分の成人式。

上京していた私は同期の子と一緒に、前後にずらす形で5日ほど帰省のお休みを頂きました。

 

ですが限られたお休みの中友達と会うことに忙しく、ほとんど家にはいませんでした。

 

長女は成人式の際自分のローンで着物を買い、1歳違いの次女はそれを借りていました。

ですが私には似合わない色と柄だったので、自分の成人式の時はレンタルするつもりでいました。

ところが母は私用にと、着物を注文してくれていたのです。

 

母は破天荒な人で、気も強く、毎日お酒を飲んでは寝ている人でした。

父とも仲が悪く、私を含め姉たちとも毎日喧嘩が絶えず。家の居心地が悪いのもあり高校卒業と同時に私は家を出ました。

 

そんな母が頼んでくれた着物も、私のためというより単なる見栄だろうと感謝するどころか気にも留めませんでした。

 

我が家はお金がなく、私の服も姉たちからのお下がりばかり。

6年の歳の差がありますから、流行りどころではなく、本当に恥ずかしかったのを覚えています。

高校生になりバイトを始めてやっと服を自由に服を買うことが出来ました。

自転車も不燃物で拾ってきたものに、サドルだけ付け替えたもの。

とにかく貧乏で、何かを買ってもらった記憶がありません。

 

とにかく働きたい。自分でお金を稼ぎたい。

その一心で上京しました。

家を出る際に、父から生活費として10万円と、寮の個室にローンで買ったであろう、テレビと小型冷蔵庫を送ってもらい、それ以降は自力で生活をしてきました。

 

その時の父に出来る精いっぱいだったと思います。

 

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そして成人式の前日、部屋にかけられていたのは、えんじ色で裾に花がちりばめられたきれいな着物でした。

 

母自身も特に何も言わず、私もその時は久々の友達との再会が楽しみで、「キレイだな」くらいの印象しかありませんでした。

 

母は喧嘩や手が出るのは早いのですが、口下手で。

優しい言葉をかけることも、自分自身の弱さを見せることもできない、不器用な人でした。

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昔の人なので着物は自分で着れる母でしたが、人に着せるのはまた違うようで。

当日は着付けから美容院もすべて母が手配してくれていました。

 

朝からとにかく慌ただしく、髪をセットしてもらい、着付けをし、写真館に行って記念撮影をし、市のホールへ駆けつけました。でもベビーラッシュの世代だった私たちは人数がとても多く入りきれず。結局エントランスで集まった友人たちと記念撮影をするので精いっぱい。

 

小学校からの友人たちや幼馴染、隣に住んでいた男の子、久々に会う友達はみんなスーツや着物でなんだか照れくさくもあり。

お互いはしゃぎまくりながら写真を撮ったなぁ

 

親戚に見せにも廻りました。そうは言っても父も母も県外の出身でしたので、従妹の家くらい。

でもせっかくの着物姿、日本庭園が美しいところへ出向き家族で写真を撮りました。 

 

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その後は夕方から小、中、高校とクラス会が立て続けに控えていて。

家に帰ってからはひどいもんでした。

着物を母に脱がせてもらい、UPにしていた髪をどうにかこうにかほどいてもらい、脱ぎ捨てた着物は母にお任せし、スーツに着替えて飛ぶように出かけていきました。

 

私も中々会えない友達に会いたい一心でしたが

両親にしてみれば、ゆっくり祝ってあげたかっただろうに

そこまで思いやる余裕も、お礼をいうことすらないほど全くの子どもでした。

 

 

それからわずか2年後、母はこの世を去りました。

 

 

そして母から贈られた着物は

主人との結納の時に、再び日の目を見ました。

 

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大人になり

妻になり、母になり

分かった母の気持ちがたくさんあります。

 

今ならきっと

お互い言い争うこともなく

穏やかに気持ちをつたえあうことも

ゆっくり話をすることもできただろうと思います。

 

 

あの日の着物は、きっと母なりに、早くに親元を離れた私へせめてもの親心だったと、ずいぶん後になって気づきました。 

 

私のえんじ色の着物に込められた母の想いを

思い返しています。

 

ありがとう、って言いたいけれど

やっぱりまた会ったら喧嘩するかもね。

 

それでもいいから、もう一度あの着物姿を見せたいです。

 

 

どんどやと歳時記

お正月に始まり七草、どんどや、大寒

節分、節句祝い、還暦。

お盆、お彼岸、お月見。

収穫祭に餅つき。

 

日本の四季の移ろいは忙しい

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 田舎へ嫁に来てから行事ごとの多さに驚きました。

 

正月明けの《七草粥》も確かに暴飲暴食の後で、ごちそうにも飽きている頃。

でも家族はおかゆをあまり好みません💦

柔らかいごはんが好きでなく、病気の時もうどんは食べてもお粥はイヤだという。

私は好きなんですけどね―。

 

でも七草粥だけは、珍しいこともあるのか結構喜んで食べてくれます(^^♪

まぁ少しだけですしね。

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そして例年なら今日、地域でどんどやがあります。

小正月の1月15日に竹や藁でやぐらを組み立て、正月飾りやしめ縄、書き初めなどを各家庭から持ち寄って、一緒に燃やす日本伝統の火祭り行事。

小さい頃住んでいる所は割と市街地で、どんどやも近くの小学校であってましたが、へぇ―と思う程度。参加している人も少なかったように思います。

 

嫁に来て初めてのどんどやの日。朝からなんだか騒がしいなと思っていると、いきなり義父が来て『持っていくから用意しろ』と。???と聞き返すと、どんどやにしめ縄やお飾りを持っていくというではないですか。

「・・・すみません、昨日の燃えるゴミに出しました・・・」

もう、めちゃくちゃ怒られました。

だって知らんもん💧

しかもその会場がうちのすぐそばで。その日はススがとんでもなく飛ぶので洗濯物は干せません。

 

消防団と町内会の皆様で組み上げていたやぐらはとても大きいものでした。

それに点火前にそれぞれの家庭から持ち寄った正月のお飾りをグイグイと入れておきます。

後々分かるのですが、やぐらの周りをお米を収穫した後の藁で囲うのですが、これは子ども会の役目。小学生を総動員して藁をせっせと運ばねばなりません。動かす時にネズミが巣を作っていて🐭毎回心臓が止まりそうになります・・・

 

そしてどんどやの時に、お飾りの大きいお餅を一緒に焼いてそれを無病息災を願って食べるまでがセットです。

プラスお芋やスルメ、マシュマロなんかを焼いて食べる人も。

燃え上がるのは一瞬ですが、竹の破裂する音が響き中々にスゴイ光景です。

 

消防団の人達が紙コップとお酒をお神酒として配って回ります。

町内会長さんが主となってこれまたぜんざいを作ってふるまったりもしてました。

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自分が役員の時は正直面倒だとも思いましたが、季節を感じられる行事だなとも思います。

 

そして餅はその場で食べずに持って帰ると、ガッチガチで食べれたものではなく(笑)

仕方ないので砂糖醤油などをタッパーに入れ、その場で食べてました。

 

子ども達も小さい頃は参加して、どんどやで会う友達と遊んだり、ぜんざいを食べたりと、ワイワイと過ごしてきました。

 

でも毎年子どもの数が減ってきて、聞けば部活や塾で来れない子どもたちが増えてきて、小学生はまばら、中学生はほとんど見なくなりました。

今の子ども達は忙しすぎるように思います。

 

そしてこのコロナの緊急事態のなか、もちろん中止になりました。

 

なんだか寂しい気持ちと、あんな風にいろんな人たちが集まっておしゃべりしたり、お酒を交わしたり、お餅を食べたりしていた何気ない風景が、貴重だったんだなと感じます。

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大がかりな行事は本当に面倒でしたが(;'∀')

暦や季節の催事などは知って良かったかなと思うことも。

 

子ども達が大人になったふとした時に、思い出してくれたらなと思います。

 

兄者があげたかったお年玉

お金の使い方で”その人”がわかる

 

どうか正しい使い方を

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この時期、お年玉を手にした子どもたちはものすごくリッチ。

大人の小遣いなんて軽く超えるくらいのお金を持っている。

 

お子さんのお金の管理って、どうしていますか~❔💰❔

 

我が家では小さい頃はお小遣い帳をつけさせていましたが、中学生ごろから書かなくなりました💦

親戚が多いので、お年玉と夏のお盆もお小遣いをもらう子ども達。

けっこうな額なのですよ(;'∀')

それに誕生日とクリスマス。

欲しいものはほぼ手中にしている彼ら。

 

小学生の頃のお小遣いは500円くらいだったと思います。

行動範囲も近所ですし。買いに行くとこもないですし。

幼い頃はやれ仮面ライダーだのトーマスだのと夢中になってましたが

小学校の低学年からはゲームにハマり、それもソフトからオンラインのダウンロードへ。

見えない商品というのはムズカシイ・・・

 

中学生になってからは、サンタさんは夢の世界から現実になり

プレゼントは部活用品に限定されました。

これはこれでけっこうするんですが💧

 

中学生で月2,000円です。

オシャレもあまり興味なく、第一遊びに行くところがない。

割と部活動尽くしの毎日でした。

 

高校生。月3,000円になりました。

遊ぶ範囲も広がってきて、だんだんとオシャレにも目覚めてきます。

好きな芸能人や推し?のキャラクターやらも出てきて、グッズだのが欲しくなります。

洋服はシーズンごとに1つは新しいのを買ってやりますが、それ以外は自分の持っているお小遣いで調達してもらうようにしてます。

お小遣いが少ない時はそれなりにやりくりしていた子どもたちも、バイトをするようになるとそれだけ自由度が増すことに気づきました。

 

もう、あの頃には戻れない(笑)

 

部活を止めて時間を持て余しているときに始めた新聞配達。

バスケを再開しましたが、バイトは辞める気ないそうです。

高校生で月3万は大きいもの。

おかげで11時にはおりこうさんに眠る日々。

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今朝もチラチラ小雪降る真っ暗な中を、全速力でチャリこいでいきましたε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

 

いやスゴイわ。感心する。

 

兄者ももうバイトを始めてるので断ったのですが、正社員ではない事と成人まではということでお年玉を頂きました。

せっかくなので、甘えましょうかね。

 

その代わりと言っちゃあなんですが

兄者から祖父母へも年末プレゼントをしました。

お金だと気を使わせてしまうので【年末ジャンボ宝くじもちろんバラのセットで!!!

最初は遠慮してましたが、渡された封筒の中を見て笑って受け取っていました。

 

夢は大事だからね♬

 

そしてもう一つ。兄者にはずっとしたかったことが。

それは《弟君にお年玉を上げること》

 

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頑張っているとはいえ、まだまだ少ないお給料から家にも生活費を入れてくれている兄者。

そして嬉しそうに弟君にお年玉を上げる姿に成長も感じました。

 

後で兄者にもこっそりお年玉をあげてしまう親ばかな自分💦

『ええっ・・いいの』と目をパチクリさせてましたが

頑張っているご褒美だからね、と言うとニコニコでした。

 

「ガンガン稼げるようになったら母に頂戴ね」というと

『おう、任せとけ♬』と言う兄者の将来が楽しみです。

  

加湿器イイ感じ。めざせ湿度40%!

ずっと家に居ると

あれやらこれやら欲しくなる。

いかんねぇ(;'∀')

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今住んでいる家は気密性がとても高い。

それはとても良いのですが、乾燥も半端なくて。

 

気候の良い時は2階の窓を日中開けといたりもするのだけれど

この寒さ⛄ほとんど閉めっぱなし。

 

洗濯物は2階のベランダ、もしくは寝室に干しています。

(ホスクリーンという洗濯物干し専用のバーみたいなもの)

ソース画像を表示

重量もかなり耐えられますし、仕事をしているときは100%部屋干しでした。

梅雨時は鬱陶しいですが、冬場の洗濯物は適度に湿度があるので助かるんですよね。

 

ただ1階は乾燥しまくりでずっと気になっていました。

やはり乾燥は喉もやられますしインフルエンザをはじめウイルスにとっても良い餌場になってしまう。

コロナも冬場になっての重症化が気になります。

 

空気が乾燥すると感染を防ぐ人体の動きが低下する。

気道に入ってきた病原体を捉えて外へ押し出す粘膜や線毛の動きが鈍くなり、ウイルスなどが肺の奥まで入りこみやすくなってしまう。

感染者からのウイルスを含んだ飛沫も、乾いた空気の中では水分が蒸発し軽くなって室内を長く遠くまで漂う。その結果別の人が吸い込んで感染する危険性が高い。

あまり高い湿度は壁にカビも生えやすいことから、専門家曰く

『利益が大きくマイナスが少ないのは湿度40~60%』と注意を呼びかけ

引用:新型コロナミニ知識 新聞より抜粋

 

かといってあまり込み入ったものはお手入れが大変そう💦

加湿器は水を培養にしてカビがとても繁殖しやすいとも聞くので。

お手入れも簡単で、そこそこ容量もあって、お値段もお手頃で、できればLEDでアロマもできるやつ🥰とワガママなリクエストでしたが、良さげなものを見つけました。

 

近くの雑貨屋さんで見かけて気になっていたものの品切れで、1か月先の入荷予定と聞いていたのですが。

晦日の挨拶回りの帰りに寄った時に、4台だけ臨時入荷されていました!

これはもう買うしかない(^^♪

 

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リビングのテーブル横にセット。なかなかイイ感じです。

 

パーツが全部外れるので、洗うのも簡単。お水の追加も簡単。

LEDライトも7色に変わり、蒸気の量も3段階+スリープモードで選べます。

そしてアロマも使用可能が嬉しい。

4Lで朝と夕方~夜みんながいる間だけ蒸気を最大にしてますが、充分持ちます。

 

同じ雑貨店で購入した《AbiesDoctor》のモミの木

《マギーティスランド》のユーカリラディア―タ

《DHC》のベルガモット

これを気分によって楽しんでいます。

 

以前は100均などでアロマを買ったりしてましたが、やっぱり体に入るもの。

販売元を確認したり、成分も100%天然のエッセンシャルオイルを買うように気を付けるようになりました。

aroma-selfcare.hatenablog.com

らんらんさんの、楽しくてめちゃめちゃ勉強になります°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

家族もとても気にいってくれたのがこれまた嬉しかった🐣

蒸気やLED、アロマ(香りは微かにしています)が癒されるようです。

 

外ではマスク、人混みにも気を付け、手洗いやアルコール消毒の日々。

仕方ないとはわかっていても、なんだか息苦しくなっちゃいますね。

 

せめて家に帰ったらのんびりと

ふうぅ―と力を抜いて楽にしていてもらいたい。

 

毎日の記録更新の感染者と重症者。緊急事態宣言も出て、生活も経済も未来も先行きの見えない不安な日々だけれど。

最前線で命を懸けて闘ってくださっている医療関係の方々に感謝しながら

迷惑をかけないようにせねばと思う毎日です。

 

 

 

 

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