不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~沖縄、行ってみよっか~

南の島

温かい人達

 

めんそーれ沖縄

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全くの方向転換でしたが

兄者も気持ちが動いていました。

 

あまり思いつめずに

気楽に考えてみたら、と話しました。

 

 

この学校面白いな、と思ったのは

語学も英語のみならず、観光客の多い

アジアからのインバウンドに備えて

中国語に力を入れていたり、

沖縄の文化の一環で、琉球舞踊の習得もありました。

 

もともと観光メインで、マリンスポーツがメジャーなので

授業内容にも入っています。

 

・・・楽しそうじゃない♪(*´ω`*)♪

 

またサービス技術の向上にも、かなり力を入れていて

検定取得や世界大会への出場もあったりと

指導にも確かなものを感じました。

 

寮が併設してある事。

食事も3食提供があり、自炊は休日のみ。

クラスの人数も少なく

卒業後の就職先も、とても良いところばかりでした。

 

 

自分が沖縄を訪れた際、フロント女性の対応が素晴らしく

数年経って再訪した際も、同じホテルを選びました。

 

細かい気づかいや、サービスが本当に嬉しく

今でも忘れられないくらいです。

 

テルマンはプラスアルファで、

個々の判断が求められる仕事だからこそ

人への思いやりの気持ちが何より大切だと、

思える仕事です。

 

 

兄者は嫌なことがあっても決して顔に出さず

いつも笑顔でいます。

それで無理をしすぎる所もあるのですが(;´・ω・)

 

でも人に対して一生懸命な所は

いつも変わりません。

 

また相手が子供であれ、大人であれ

年配の方であれ、接することに

ためらいがないのです。

 

兄者にとって

人の喜ぶことを、仕事としてできるのならば

天職ではないかと考えました。

 

それに地元から離した方が

のびのびと出来るのではないかとの

思いもありました。

 

沖縄の自然も素晴らしく、

また向こうで出会った人達は

みなのんびりと穏やかな印象がありました。

でもそれは日本の中でも、一番過酷な思いを

経てきたからでもあります。

そして今なお戦い続けている現実を

子どもにも実感として知ってほしかった。

 

学校で学ぶ以上の事が

沖縄の地にはあるので

ぜひとも兄者には知ってほしくて

自然と勧めるのにも力が入りました。

 

そうはいっても、兄者にとっては見知らぬ土地です。

ためらうのも無理はありません。 

 

 

「行った事もないところだと、ピンと来ないよね。

一度、見に行ってみようか」

 

ビックリする兄者でしたが

「いいの・・・?行きたい!」

と満面の笑み。

 

百聞は一見に如かず。

 

学校のオープンスクールは日程が合わないため

個別での訪問しかできません。

 

・・・どうにかなるやろ。

いざとなれば突撃訪問じゃ。

 

それに学校が決まらなくても

兄者と旅行に行くと思えばいいんだ。

あんなに嬉しそうなら、

気分転換にもいいかもしれない。

 

大好きな先輩ママからのアドバイス

私の背中を押してくれました。

 

そうと決まれば

善はいそげ。

 

行きましょう、沖縄。

 

 

不登校になって~新しい道~

見方を変えてみる

 

色々な可能性に

かけてみる

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兄者の進路

焦らない、とはいうものの

放っておく、というのとはまた別で

 

興味を持つのではないか

合っているのではないか

 

そういった進路先のパンフや資料は取り寄せて

兄者と話し合ったり

就職に関しては

先生に相談したりと

模索の日々でした。

 

もともと機械や技術系も好きだったため

就職と専門学校の中間のような

大学校というものが目につきました。

 

何より、学費が安いのにびっくり。

寮もついていて、こちらも安心。

 

色んな資格が取れるのは

専門学校の魅力です。

もちろんいきなり社会に勤めに出るのもいいですが

やはり資格を持っているのは強い。

そして勤めだすと、なかなか勉強したり

資格取得の時間は取りづらくなります。

学生のうちが一番習得しやすく

就職にも有利です。

 

そんなこんなで候補の一つとして見ていた学校ですが

パンフを見ていると

ホテルビジネス科というのが目に入りました。

 

おやっ

 

医療、福祉とも全く違い

機械や技術系ではないけれど

これはこれで、良くないかい?

 

兄者は人のお世話をしたり

面倒をみたりするのが得意です。

また、ボランティアというか、

そういうものは惜しみなく頑張れます。

 

ホント言うとも少し自分の事にも

一生懸命になれるといいんだけど(;^ω^)

 

私に言わせると

人へのサ-ビス精神は旺盛です。

そして人が喜ぶことは、面倒でも進んでやります。

 

兄者はホテルマンに向いている。

 

そう思ったのも、私自身が最初に勤めたのが

日航系のホテルだったからです。

 

おもてなしの心や

人への心遣いや、細かい気づきが求められる仕事です。

 

何より、学校がとても魅力的でした。

 

なんてったって

沖縄にあるんだもん!!!

 

何度か沖縄を訪ねたこともあり、

自然や景観や文化もですが、

沖縄の人たちの温かさがとても心に残っていて

大好きな場所です。

 

もう、自分の希望になってる(笑)

 

でも遠く離れた沖縄という新しい土地で

新しいことを始めるのは

とっても良いように思えました。

 

兄者に見せながら説明すると

珍しく興味を持ってきました。

 

お。行けるかも。

 

ちょっと考えてみない?というと

素直にうなずいていました。

 

不登校になって~心からのアドバイス~

同じ経験をしたからからこそ

分かる痛みと気持ち

 

焦らず、一歩一歩。

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小学校、中学校、高校、大学と進み

出来るだけ良い会社に入り、

適齢期で結婚し、子どものいる家庭を持ち、

安定した生活を得ることが

人生の目標だと思っていました。

 

そのために、今学校へ行くのだと。

 

「それは幻想」ときっぱり言ってくれた人がいました。

 

兄者の学校の先輩ママです。

今は大切な友達です。

 

彼女の明るさに惹かれました。

そして、大事なこともたくさん教わりました。

 

子どもを責めないこと

可能性を信じること

「普通」という概念にとらわれないこと

親もたくさん遊ぶこと

しんどい事には「NO」ということ

 

カンタンなようでこれが難しく

大人になっても

たくさんの「ガマン」の中で

私たちは生きています。

 

でもそれが本当にいいことなのか

 

「考える」ことをせず同調すること、

みんなと同じことをしなくてはいけないと

無意識に思い行動することを

今は怖いと感じるようになりました。

 

 

 

明るく開放的な彼女といると、

兄者のおかげで

自分の人生が、いい意味で変わっていったと

思えるのです。

 

きっと

「普通」のレールの上では気づけなかったことが

たくさんありました。

 

もちろん、何事もなく進んでいければ

楽だったでしょう

 

でも兄者と

廻り道しているこの時間も

大切だなと

ようやく思えるようになりました。

 

 

自分が苦しんだ分だけ

辛かった分だけ

相手を思う気持ちや言葉は

ストレートに届きます。

 

優しさや、思いやり、ほっこりするような気持ちが

兄者の学校にはたくさんあって、

生徒さん達、先生方、保護者の方や

応援してくださる方々との出会いを

何より宝だと思っています。

 

自分が助けてもらったように

いつか自分も誰かを支えられるように

私も兄者もなれるかな

 

 

照れくさくて

恥ずかしくて

なかなか言えないけれど

 

友達にもいつか

「おかげで人生変わったよ」と

伝えたいです

 

不登校になって~退部届け~

当たり前にとか

普通にとか

つい思ってしまう

 

それぞれのカラーがみつかれば

もっときれいな景色が見えてくる

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この頃、順調にみえていた弟君から

「部活を辞めたい」と話しがありました。

 

チームの同級生とも、先輩とも仲良く、

1年生大会にも出場し、リーダーにも抜擢されていました。

 

それなのに、なぜ?という思いと

小学校からせっかく続けてきたのにもったいない、

部活動に入っていたほうが内申もよいのに、

高校生なんだから部活動はするもの、

等々いろんな思いが駆け巡りました。

 

ひとまず保留にして

本当に後悔しないか考える時間をとりました。

 

人間関係でもめたわけではなさそうですが、

先輩からの期待が大きすぎて応えられず

結果楽しくプレイできなくなっていました。

 

先生にも話して、ポジションを

変えてもらうことも話したのですが、

ずっと先輩に気を使い続けることにも、限界のようでした。

 

先輩・後輩の関係は部活動の中に限ったことではなく

社会に出てからも当然あります。

そのためにも、学生のうちに鍛えておくことも大事です。

また男の子なら尚更、運動をしないと

パワーが有り余ってしまうのではないかとも、思いました。

 

心の中では、なんとか気が変わって続けてくれないかとも

思いましたが、決意も固く

夏休みに入るころ、退部届を出しました。

 

大好きなスポーツだから、嫌いになりたくない

という彼の気持ちも分かりました。

 

そうはいうものの、時間を持て余して

グレる(古いー)のではと心配もしましたが

ちゃんと勉強もしています。

家の手伝いもしますし、

料理だってしてくれます。

おい、マジメだな(笑)

 

何より、この頃は同居する父も

体が弱り始めていたため、

結果家に居てもらうのは、私も助かりました。

 

そのうち、音楽に興味を持ち始め、

ギターを弾きたいと言い出しました。

 

これには父も大喜び。

音楽が大好きだからです。

 

悩んだ挙句、ものすごく早いクリスマスプレゼントとして

ギターを買いに行くことに。

最初のドレミの音階は、嬉しそうに父が教えていました。

 

教室に通わなくても、今の子は動画で覚えるんですね・・・

そのうち、色んな曲を練習するようになりました。

 

 

部活動で頑張ることも素晴らしいです。

一生の宝になります。

先輩、後輩との繋がりも大切です。

 

ただ部活動に限らず、色んな興味を持つことも大事ですし

挑戦することもできます。

 

いろんなアンテナが張れる人は、ストレス発散も上手です。

 

かくして人前でカラオケさえ歌えなかった弟君は

弾き語りができるまでに上達しました。

不登校になって~僕の進む道~

高校3年の夏

将来も考えなくてはいけない

 

でもね、今この時間も

大切だよ

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周りが進学、専門学校、就職と

それぞれに動き出しました。

 

これまで医療関係を第一希望に考えていて

専門学校のオープンスクールにも、いくつか下見に行っていました。

 

兄者一人で行くこともあり、学校の雰囲気も気に入った様子でした。

 

人に寄り添うことに抵抗がなく、気持ちの優しい兄者には

医療関係、もしくは福祉が向いているのではと

一緒に考えたりしていました。

 

担任の先生からも、また先方の学校からも連絡が来ていて

専門に進むのだとばかり、思っていました。

 

そんなある日。

「よく考えたんだけど、なんか違う気がする・・・」

 

へ?

いやいや、今頃?

喉まで出かかった言葉を飲み込み、話を聞きました。

 

実際進学が現実になってきて、兄者なりに色々考えたそうです。

どうもしっくりこない。

この仕事にどうしても就きたい!とまで思えなくなってきて

こんな状態で進学しても続かないとも思うと。

「ごめんね、今になって・・・就職で考えてもいいかなぁ」

 

あちゃ-という気持ちはありましたが、

自分の気持ちを言ってくれたことのほうが嬉しく、

それをそのまま伝えました。

 

担任にも本人から話し、就職も視野に入れて検討しなおすことになりました。

 

 

そんな折オープンスクールで、卒業した先輩たちの体験談を聞く機会がありました。

 

美容系の専門学校へ行った女の子は、実はずっと保育士を目指していたそうです。

それがやはり間際になって、全く違う選択をしたと話していました。

また先生からの勧めがきっかけで、大学の英語専攻に決めた男の子や、

航空関連にあこがれて、遠く北海道の寮生活を選んで進学した子など

皆様々でした。

 

意外だったのは、大学のほうが行きやすい、という意見。

専門学校のほうが規模も小さいので、

子どもには合っているだろうと、勝手に思っていました。

 

大学だと自分の興味のある分野に絞って勉強できるので

苦にならないし、何より時間的に余裕がある、との意見でした。

 

対して専門学校は、それぞれの専門課程の時間割がかなり詰め込んであり、

よほどの熱意がないと正直厳しいともありました。

 

なるほど、なるほど。

聞いてみないとわからないものだな-。

 

一番心配なのは

「学校へ通えるのか」

 

こんなにユルユルな環境から、

卒業した後、果たして続くのだろうかというのは

皆も同じ気持ちでした。

 

それに対しては、先輩たちも苦笑いで

大学も、専門も、「毎日行く」ことが

かなりきつかったと、口をそろえて言っていました。

最初慣れるまでは何度も辞めたくなって

そこで支えになったのが、クラスメートだったそうです。

 

お互い苦しい思いを話しながら、

弱音を言い合いながら

なんとか乗り越えたと。

それがなかったら、ムリでしたと笑って話してくれました。

 

また先輩ママ達から、焦らないよう、アドバイスを頂きました。

”とにかく進学”とか無理して決めても、続かない。

せっかく決めても、また行けなくなることで、

本人も「やっぱり自分はダメなんだ」と一層自己否定してしまう。

本人が本当にやりたい事をみつける。

でもそれは今じゃないかもしれない。

もう少し時間がかかるのかもしれない。

それまでは、ガマンだよ、と。

 

でも、放ったらかしというわけではなく

道しるべになりそうな資料やデータは

ちょこちょこ共有していました。

 

学校の先生からも、折に触れいろんな提案も頂いていたようです。

 

以前はやはり「全員進路を決める」という目標で

ほとんど進学で(就職も少し)卒業までに推していたと聞きました。

でも元々がつまづいてきた子ども達ばかり。

やはり卒業後に行けなくなったり、辞めてしまったり、

長期欠席になってしまったりする生徒が多く

学校側も考え方を変えられたようでした。

 

進学にしても、就職にしても

パワ-が要ります。

自分の「好きなこと」でそのパワーが出せるよう、

なんとか兄者に合った道を見つけてほしいと、心から祈っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校になって~オープンスクールでの出会い~

子どもの気持ちは、子どもが一番よくわかる。

 

親の気持ちは、親が一番よくわかる。

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時折開かれるオープンスクール

あれから私もできる限り、参加するようにしていました。

 

午後からは外部の自由見学会になっていて

通信制への転校を考えている高校生や

入学を考えている中学生

保護者の方や、お子さんも一緒だったりと様々ですが

毎回何組か来られていました。

 

在校生が学校案内のため

毎回数人お手伝いとして参加しており、

この頃、兄者はまだ不安定なものの

なぜかこのオープンスクールにだけは

毎回お手伝いで参加していました。

 

自分と同じように苦しんでいる

生徒の気持ちが分かるからでしょうか。

 

また、学校は大好きだったため

分かってほしいという思いもあったのでしょう。

 

なかでも、ずっと誰ともしゃべらなかった中学生が

兄者とだけは楽しそうにしゃべっていたと

ビックリして話されたご家族もいらっしゃいました。

 

その子は翌年、入学してきました。

兄者もとても可愛がり、卒業までずっと気にかけていました。

 

 

私のほうも、午前の保護者向け説明会の時

どうも見覚えのある方にお会いしました。

 

子ども達が小さい時、児童館で一緒に遊ばせていたことを

思い出しました。

向こうも覚えていてくださっていて、

お互い久々の再会を喜びました。

 

彼女のお子さんは、弟君より1つ下の学年で

現在中学生だそうなのですが

やはり不登校になり、あちこち探しまわり

たどり着いたとおっしゃってました。

 

お昼時、ママさん達とのランチに彼女も誘いました。

もともと明るく気さくな性格の彼女は

すぐに他の保護者の方とも打ち解けていました。

 

今回のランチには、親子で参加がありました。

 

イギリス人のお母さんも日本語が流暢。

ハーフの娘さんも、とっても可愛い。

そして話が親子どちらも面白い。

 

お母さんの考え方は私達とは根本的に違っていて

自立を促すような育て方をされていました。

娘さん1人で、海外のキャンプや旅行へ参加させたり。

(ものすごく過酷で娘さんは文句タラタラでしたがw)

 

 

女の子ということもあり、とてもしっかりしたお子さんでした。

 

とてもいい子で、学校でも人気者のように映りました。

 

それでも日本は、やはり閉鎖的で

土地柄、また学校でも浮いてしまい、

なじめず不登校になってしまったとのことでした。

 

「日本は、みんな同じを求める。それはおかしい。

一人ひとり違う、個性はとっても大事。でもそれは認めない」

そういったお母さんの気持ちは、とてもよく分かりました。

 

娘さんは考え方が大人というか、いろんなことを理解した上で

きちんと発言ができます。

しかもユーモアを交えて。

本当に感心しました。

 

自分がまだ子どもであることも自覚している、という彼女は

「決められた枠の中しか自分たちは知らない。

もっともっと世の中を知らないといけないと思う」

とも言っていました。

 

また実家が遠い彼女は、学校の近くにシェアハウスを借りて住んでいました。

 

最初はJRを使い、何時間もかけて通学していたとのこと。

でも新しい今の学校が気に入り、それだったらと

学校の近くに住むことになったそうです。

 

でも女の子の一人暮らしはやはり心配です。

そんな時、学校の先生がこのシェアハウスを探してきてくれたそうです。

 

シェアハウスなぞ聞いたことしかない我らは興味深々。

そんな様子を察してか

「見に来る?」というお申し出に、図々しくも甘えることに。

 

 

学校からほど近いその場所は、一見普通のおうちのようでした。

玄関を入ると靴箱が一杯w

広-いリビングが目に入ります。

テレビがめちゃでかい。

ゲーム回線もつないであり、みんなで楽しむらしい。

 

奥にはおしゃれなキッチン。

一人ひとり専用のバスケットがあり、調味料やらは各自で管理しているとのこと。

 

リビングを囲むように、お部屋が点在していました。

1階に6部屋程。それぞれドアに特徴が出ています。

2階にも数室あるとか。

お部屋もチラッとだけみせてもらいました。

彼女のお部屋は6畳でベッドと簡単なクローゼットがついています。

後はパソコンだったり、冷蔵庫を置いてある人もいるらしく。

Wi-Fi完備です。

 

お風呂も1階、2階にもあるらしく

お掃除の当番表もありました。

洗濯機ももちろんあります。

 

留学生や大人、男性女性様々な住人がいて

もちろん審査もありますが、なにより住んでいる人達が

フィーリングが合うかどうかを事前に確認するそうです。

 

お互い、楽しみながら、

でも個人の生活はきちんと守る。

そういった感性が合わない人は、お断りされるそうです。

 

オバちゃんたちは見慣れないスタイルに感心と憧れで

お腹いっぱい(笑)

 

 

彼女自身、一人だとやはり寂しいらしく。

生活の中で近くに人の気配があるのは、安心するのだとか。

またお母さんも、寝込んだ時や何かの時、

側に人がいると心強いとおっしゃってました。

 

なかなかに斬新な考え方だなぁと思いながらも

とても興味をひかれました。

 

それからも何度か学校へ行くたびに

彼女はいつも明るく挨拶をしてくれます。

 

でもそんな彼女も、やはり学校へ行けない時もあるそうで

そんな時は生徒がいなくなった夕方に、

ふらっと学校へ顔を出すのだと言っていました。

 

すると先生達が「あら、いらっしゃい」と迎えてくれる。

 

そんな学校が、とても素敵だとしみじみ思いました。

 

 

不登校になって~休んだっていい~

ガマンするのがあたりまえ

私たちもそうしてきた

 

・・・果たして本当にそれが正解???

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子どもが不登校になってから

考えさせられることも多く

また自分なりに、多方面の意見も

勉強するようになりました。

 

そこで疑問に思うのは、画一的な日本の教育方針です。

 

「みんな一緒に同じ内容を同じスピードで

ひたすら詰め込む」

 

ついてこれない子は仕方がない。

塾ありき、の教育現場。

 

子どもは千差万別です。

その波に乗れない子供は、どうしたらいいのでしょう。

 

かといって先生も過重労働。

個別に面倒をみる余裕なんてありません。

 

余裕のない毎日で

ストレスを抱える子供たちは

自分より弱いものを攻撃することで

自分を保とうとします。

 

大人でさえ病むこの時代に

子ども達はもっと生きづらいでしょう。

 

 

学校のシステムも、変わらなくてはいけない時代です。

 

ですがまだ現実は難しく

たくさんの制限の中で、みな頑張っています。

 

 

小学校から塾に行き

掛け持ちで習いごとに通い

クラブチームに所属する。

時間・金銭的にも

保護者もいっぱいいっぱいです。

 

なんとか自分の子どもだけはと

「我が子優先」な親も増えています。

 

気持ちがわからなくもないのですが

なんだか、とても寂しく感じてしまいます。

 

 

「何のために生きるのか」といったことや

他者への奉仕やボランティア活動といったものを

もっと学校でも取り入れていくべきなのでは

ないでしょうか。

 

自分で考えられる人に

自分で判断できる大人に

物事の善悪を公平な目で見られる正しい人に

なってほしいと

 

また自分もそうありたいと思います。

 

 

 

新年度になり、次男も

高校生活がスタートしました。

 

クラスメートの男子の割合が少ないため

必然的に一緒に行動するようになり

おかげでみんな仲良しになり

安心していました。

 

部活も小学校から続けていた運動部に入り

先輩も優しく、課外に部活にと

毎日忙しそうにしていました。

 

ですが週末になると

中学校時代の友達が集まり、

高校の友達と遊びに行くことは、まったくありませんでした。

 

集まる友達も

イマイチ新しい環境になじめない様子で

週末に昔の気の置けない仲間で会うのを

ひたすら楽しみにしていました。

 

もともと小さな学校ということもあり

大きな集団に入っていくことも

それなりに気を使っていたのでしょう。

 

仲間のうちの一人の子は

持っていくお弁当すら食べきれず

ゼリーで過ごしていると、聞きました。

 

うちの兄者が重なって見えるようでした。

 

弟君には、毎週集まってもいい

みんなが頑張っている心が折れないように

うちでは騒いでゲームして、お泊りしていいよと

話していました。

 

そのうち弟君に、ある日突然体中に

ギョッとするほどの発疹が現れました。

慌てて病院へ連れて行くと「蕁麻疹」とのことでした。

 

アレルギーもまったく該当がなく

体がサインを出しているように思えました。

 

兄者の時は、学校側の方針が

「とにかく何が何でも休ませるな」で

体調が悪いときも無理やり行かせてました。

また休みも3年間で10日までとの制限もありました。

(それ以上は進学の推薦がなくなる)

 

兄者の時にもう凝りていたので

弟君の時は「無理せず休みな」と

ゆっくり家で休養させました。

 

世渡り上手で、クラスでも順風満帆な弟でさえこれなのだから

兄者はどれほどきつかっただろうと、考えてしまいます。

 

 

手段のための、学校です。

希望する将来へ進むための、高校です。

 

ここでつぶれてしまっては、意味がない。

 

 

兄者のおかげで

弟君は、ムリをすることなく

自分のペースでなんとか高校生活を楽しんでいます。