父の故郷でもある大牟田市は
1年前アフガンで銃撃され亡くなられた中村哲先生のご自宅があるところです。
難民キャンプでアフガン難民の一般診療に携わる。1989年よりアフガニスタン国内へ活動を拡げ、山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患の診療を開始。
「ほとんどの病気は十分な食べ物と清潔な飲料水があればかからない。飢えや渇きというのは薬では治せない」
2000年から、旱魃が厳しくなったアフガニスタンで飲料水・灌漑用井戸事業を始め、1年で600本もの井戸を掘る。アメリカ同時多発テロによる空爆の際、難民を出さないとの一念で日本で緊急募金を行い、現地への食糧支援、27万人の命をつなぐ。2003年から農村復興のため大がかりな水利事業に携わり用水路を建設。砂漠を緑の農地に変え作物だけでなく雇用も生み出す。
2019年12月4日(水)、中村哲医師がいつものようにジャララバードの宿舎を出て作業現場に向かう途中何者かに銃撃され、病院に移送後亡くなりました。享年73歳。
私は恥ずかしながら、訃報を聞くまで中村先生の事すら知りませんでした。
こんな素晴らしい人が日本にいたのかという衝撃
そして紛争がこの素晴らしい世界の宝を奪ってしまった
中村先生のアフガニスタンでの医療や灌漑事業の功績もさながら
現地で支援をするワーカーさん達、日本で行き場を失った若者たちへも『生きる』道筋を作っておられたこと。
先日もテレビで拝見しました。
全身全霊で『命』を守るための先生の行動。
そしてその先生の想いを継ぐ人たちがたくさんおられること。
あまりに偉大過ぎて遠い人のようにも思えるけれど
世界の現状や、こういう人がいたこと、活動があっていることをもっと学ばねばと思う。
今日の深夜に再放送があるので、まだの方はぜひ。
以前新聞で読んだ国境なき医師団日本会長の加藤寛幸さんの言葉が胸に残っている。
『どんなきっかけでもいいから”知る”ことから始めてほしい。
遠く離れた場所の事を”関係ない”と思わないでほしいのです。
貧困や病気、紛争で苦しんでいるのは、ぼくたちと同じ”人間”です。
自分のことを”大勢の中の一人”と思わないでください。
”自分の助けを必要としている人がいる”そう考えてほしいのです』