兄者が産まれた時、側にいてくれた父
顔がそっくりで
なんだかヘンな気持ちだった
子ども達の優しさは
きっとじいちゃん譲りだよ
春になり
日増しに体力をなくしていく父と
たわいもない会話をする毎日
それでも頭もはっきりしていて
食事も自分で取れる状態は
幸運としか言いようがありませんでした。
一つひとつの動作には
だんだんと時間がかかるようになってきて
それでも
トイレもお風呂も
自分で済まることにこだわっていました。
父なりの
プライドだったのだと思います。
もう癌の末期だと知って
仕事を辞めて側にいるようにしてからは
私も気持ちに余裕が持てるようになったのか
比較的穏やかに過ごすことができました。
これが
家の事、仕事、看病、学校の事
と全部きてたら
たぶん潰れていたと思います。
自分に余裕がないと
やはり家族や子どもにも
あたってしまい
また今度はそんな自分に嫌気がさし
負の空回りのような状態が多かった。
時間的な余裕というのが
一番大きく
のんびりと父と過ごせる時間は
有難いものでした。
それでも
夜は関節の痛さや、息苦しさで眠れないことが多く
起きては身体をさすり
眠ってはまた起きてを繰り返していて
日中もボーっとしていることも多かったですが
コロナで自粛中の子ども達が
家に居てくれるのは
私にとっても大きな安心感でした。
またどんどん筋力がなくなっていく父を支えるのには
とても力がいるようになり
痩せて40kgしかない身体なのに
私では支えきれないのです。
そんな時、子ども達が力を貸してくれました。
ベッドからリビングへ移動するとき
トイレへ行くとき
お風呂場へ移動するとき
兄者と弟君が
「じいちゃん、いこ」と言って
優しく体を支えてくれるのです。
やっぱり男の子です。
またそんな孫たちが可愛くもあり
頼もしくもあるのか
父も喜んで身体を預けていました。
また兄者は寝る前にいつも
「夜中でもなんでもいいから起こしていいよ」
と言ってくれ
その優しさに涙がでました。
兄者は父が一番最初に倒れた時も
必死で助けてくれました。
人のために必死で動こうとする
兄者の優しさを知ってるだけに
なんとかしてあげたいと
父ももどかしく思っていたようです。
また
父と気の合う弟君も
時間があれば父に声をかけ
お得意の料理をふるまってくれました。
おじいちゃんと過ごすかけがえのない時間
孫がくれるおしみない優しさ
あの1ヶ月足らずの日々は
私にとっても
父にとっても
子ども達にとっても
優しさにあふれた
ステキな日々でした