不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

自宅警備員中の息子とアラフォー母の転職記

不登校になって~毎朝の戦い~

追い詰める私と学校への連絡の日々

 

どうにか行かせようとする私

毎日の連絡を必要とする学校

今思うと

どちらにも意味はなかった

 

 

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問題勃発後、段々と学校に行けない日が増え続け、

この頃は完全に不登校の状態でした。

 

でも最初のうちは、

朝から起きて、制服を着て、準備をしているのです。

 

時間割も確認し、本人も「行かなくては」という

気持ちはあったのだと思います。

 

ただ、そこからベットの上で人形のように固まってしまい、動けない。

そこを当時の私は、むりやり連れて行こうと

力づくで引っ張ったりしていました。

 

もう小さな子供ではありません。

動くはずがないのです。

 

そしてそれは、不登校の子供に対してやってはいけない行動そのままでした。

 

当時はそんなことも知らない私も必死です。

 

何度かは車に乗り込み、学校まで行きました。

でも、降りられない。

 

保健室でもいいんだよ、と話しても兄者にとっては

中学校の時のように、保健室が安心できる場所ではなかったのです。

 

それからは、朝着替えた後にトイレにこもるようになりました。

 

中で、吐いているときもありました。

 

そんな中、「行ける?」「・・・うん」

「本当に大丈夫ね?」「うん、行くよ・・・」との会話を

何十回も繰り返しました。

 

私も仕事をしており、その当時は出勤が早い会社でしたので、

私のほうが先に出ないといけなかったため、

「行く」という気持ちに一縷の望みを毎朝託し、仕事に行っていました。

 

でも、やっぱり行けず。

学校からも「保護者から連絡を」と言われ続け

 

仕方ないので毎朝、

「遅刻します、行けるようでしたら遅れて登校します」というメッセージを、

自動音声メッセージに吹き込み続けました。

 

果たしてこれに意味があるのか、

本当に必要なのかも疑問でした。

 

本人が何かのタイミングで、急に行く気になるかもしれない、

と願っていた私は、

「お休みします」という連絡もできず

毎日お弁当も作り続けていました。

 

却ってプレッシャーになるかも、という考えと

「行かない」と、見離されたと思ってほしくないとの複雑な気持ちで、

毎日作るお弁当が、とても悲しかったです。

 

その頃から徐々に朝も起きれなくなり、

昼夜逆転の生活になっていきました。