不登校から見えてきた未来 by 子連れ狼旅日記

不登校になったコドモとの日々🍀そこから見つけた新しい人生🌈のんびりあせらずいきまっしょい

不登校になって~卒業式を迎えて~

立ち止まることも

回り道も必要

 

一歩一歩

自分の足で

歩いていこう

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卒業式の日

新調したスーツに身を包んだ兄者は

とてもかっこよくて

一足早い成人式の気分でした。

 

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弟君がせっせとスタイリングをしてくれ

一緒に卒業式も参加する、と

お気に入りの服を着てきました。

 

弟君も兄者が大好きです。

 

兄者が学校へ行けなくなり

話せなくなり

明るい笑顔が消えてしまった時

 

一番ショックで悲しかったのは

弟君だったのかもしれません。

 

私と同じく

兄者の気分や行動に一喜一憂しながらも

誰よりも卒業という節目を

嬉しく思っていたのでしょう。

 

また、同じ高校生というフィールドに立った時

学校というものに対しての

絶対服従ではない

個々としての考えや疑念が、彼なりにもありました。

 

「学校だから」「校則だから」「決まっていることだから」

でまかり通る不条理に、たくさんの「?」が出ていました。

 

ある程度の規則は、学生であれ、大人であれ必要です。

ですが古い慣例のみに追従した

改革のない固定概念は、

もういい加減改革される時期に

きているのではないでしょうか。

 

本来の

「学ぶこと」

「学生のために」あるべき姿が

「学校のために」

「先生のために」

ゆがめられているルールが多すぎる。

 

 

一風変わった先生が多い兄者の学校。

最初はビックリしたけれど

先生方も人間です。

個性があって、それを大切にしています。

 

そして何より生徒ファーストで考えてくださる姿勢。

 

だから生徒たちも先生方が大好きです。

 

魅力ある学校・先生にあふれた

この学校へ来れて、本当に良かった。

 

 

2月、まだコロナでの規制が始まる前でしたので

卒業式も家族で出席して行うことができました。

 

同級生とはじける笑顔にあふれた兄者のすがたが

まぶしくて、嬉しくて。

 

また副学園長からは

「今日の卒業をもって、保護者の皆様は僕のクラスの生徒です。

これからもよろしくお願いします」

と言われ、感激しました。

 

まだまだ先行きが見えない子ども達。

不安を抱える親にとって、

卒業がゴールではありません。

 

一人ではないですよ

みんなで歩いていきましょう

 

そう言ってくださることが

どれだけ心強いか。

 

 

高校生活は、色々な方の助けや支えがあり

なんとか卒業を迎えることができました。

 

ここから兄者の新たな地図が始まります。

 

行先も目的もわからない現状ですが

しっかりと支えて背中を押してあげられる

自分でありたいと思います。

 

親子で迷子にならないように・・・(;^ω^)

 

不登校になって~本当の気持ち~

卒業式を控え

 

今なら聞けるかな

 

ずっと気になっていたこと

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卒業式までの日々

兄者は卒業文集をせっせと書いていました。

 

先生や後輩は大好きだったため、

やはり寂しくなるようで、

学校でのお別れ会にも参加していました。

 

 

卒業まであと数日、というある日

兄者にずっと気になっていたことを

思いきって聞きました。

 

兄者はSNSが原因でトラブルが起こり、

前の学校で問題になり

それから不登校が始まりました。

 

こちらが学校へ報告したことで、

教育委員会からの連絡にも

すぐに対応することはできました。

だがはたしてそれは正しい事だったのか。

 

私が学校へ言わなければ

兄者はあんなに責め立てられる事も

追い詰められる事もなかったのでは

という思いがずっと消えませんでした。

 

子どもを守らなければと

私が取った行動が

兄者を苦しめる事になったように

思えてなりませんでした。

 

そのまま、まっすぐな気持ちで

兄者に聞きました。

 

「お母さんが大事にしなければ、

あのまま学校で、みんなと過ごせて

いたんじゃないのかな・・・」

 

兄者はしばらくう-んと考えてから

「俺もうまく言えないけど・・・・

学校へ行かなくなったのは、

あのネットの件だけが原因じゃないよ。」

 

「中学校の時から、いろいろあったじゃない?

すっとガマンしてきたり、ごまかしてきたけど

それがもういっぱいいっぱいだった。

だから、うーん、うまく言えないけど

これっていう理由ではなかった気がする。」

 

「色んな積み重ねが、もう限界だった、かな」

 

そして優しい顔で

「だから、お母さんは悪くないよ。

俺は今の学校へ行けて、本当に良かったて思ってる。

だから、結果オーライじゃない?」

 

この言葉に

救われた思いがしました。

 

私はずっと

兄者の不登校の原因が分かりませんでした。

 

何か特別な理由があるのだと。

問い詰め、答えを催促し続けました。

 

子どもからの答えがないことに

思い悩む日々でした。

 

そもそも、そこからが間違っていた。

 

子どもが不登校になるのに

答えは一つではなく

色んな事柄の結果でした。

 

心がもう耐えきれなくなった。

 

折れた足の子どもに

「大丈夫、まだいける、走れるよ!」

と見当違いの激励を続けているようなものでした。

 

ごめんね

ごめんね

 

もっと早く

心がいっぱいに傷ついていることを

分かってあげられたら

 

休んでいいよと

声をかけてあげていたら

 

こんなにボロボロになることはなかったのに

 

 

それでも

柔らかく

優しく

笑う兄者が

愛しくて

 

「そっか・・・ありがとうね」

というのが精いっぱいでした。

 

苦しかった日々もあったけど

今の学校へ来れたことが

兄者にとって

私にとっても

最前の道だったと

心から思えました。

不登校になって~学校での支援とつながり~

多種多様化する子ども達の現状

 

対応力を求められる学校

 

変わらなくてはいけない

私達大人も、学校も

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少し前の話です

 

兄者の通う通信制の学校では

定期的にオープンキャンパスが開かれます。

 

通信制を考える子どもさん、ご家族のご相談でもあるのですが

 

通信制に入っても、

なかなか学校に馴染めないお子さん

人と接することに恐怖を感じて家から出ることができない、

昼夜逆転していて生活リズムが整えられない、

社会に出ることが難しい等々

悩みは尽きないものです。

 

兄者もそうですが、

これといった理由が分からない場合、

正直親はお手上げになってしまう。

 

どうして、どうして・・・と

子どもを追い詰め、自分を追い詰め

負のループになってしまうんですね。

 

学校では講演会と称して、

様々な講師の方のお話が聞けたり、

また保護者の方の体験談を聞く機会を作ってくれます。

 

午前中は講演会に参加し、

午後は延長戦会場という場を借り、

お互いひたすら近況を話しまくります。

これがかなり息抜きになるんですね~

 

そして夜は先生も交えての飲み会という流れ(笑)

 

なかなか学校へ行けないお子さんのご相談が多いので

必然的に子どもより親の方が登校日数が多い(;^ω^)

 

でもこの場所があるおかげで、随分と救われました。

 

中学校時代、子ども達の事でとてもお世話になった先生が

高校へ移動になっていました。

全日制の高校だったのですが、保健の先生ということもあり

兄者の通う学校を知ってほしかったので

思い切って講演会にお誘いしました。

 

この時は「発達障害と支援のつながり」という内容でした。

 

先生は二つ返事で参加をお返事くださり、

当日は兄者も一緒にランチに行く約束をしました。

 

久々にお会いする先生は

お変わりなく明るくお元気で

こちらまで笑顔になってしまいます。

 

講演会の間は、ずっとメモを取りながら真剣に聞いておられました。

 

学校を見て回り、先生方も紹介しました。

 

学校という縦社会の中では

容易に他の学校や通信制を紹介できないことも分かっています。

 

でも、子どもが追い詰められたとき

どうしようもなくなった時の選択肢の一つとして

考える道としては、示してあげてほしいと

考えます。

 

実際にその学校を訪れたり、先生方や生徒と会わなければ

分からないことも多いはず。

 

通信制に対しての偏見や誤解などもまだまだ多い。

 

かくいう私もそうでした。

 

普通の学校へは行けない、

荒れた子ども達が行くところではないのかな、と。

 

現実は全く正反対で

素直な優しい子達ばかりの集まりでビックリしました。

 

実際入ってみて分かったこと、

学校の良さなどが伝わればいいなと

折に触れ色んな人に話すようにしています。

 

また先生にはとても心配ばかりかけたので

元気になった兄者の姿を見てもらいたい

とも思いました。

 

先生も久々に会う兄者に大喜びで

「ちょっと、ちょっと!

随分大人っぽくなっちゃって!」

とバンバン肩を叩いていました(笑)

 

三人で学校近くのタイカレー屋さんに行き、

先生を真ん中に、色々と近況を話していました。

 

「明るくなりましたね。ほっとしました」

と兄者と別れてから先生が言われました。

 

また通信制高校へ直接来れたことや

講演会もとてもいい勉強になりました、と言って頂きました。

 

良かった。

 

いろんな立場から

子ども達を守る味方が増えてほしいと

心から願います。

不登校になって~卒業できないかもしれない~

もうすぐ卒業。

 

・・・できるのだろうか・・・

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年も明け、少しづつですが

仕事の方も落ち着いていきました。

 

年末心不全を起こし、入院していた父も

心臓の手術のため1週間入院をしました。

 

無事うまくいき、

おかげで夜も眠れるようになったらしく。

心配が一つ消えました。

 

あと残すは、卒業に必要なレポートの提出。

兄者の通う通信制高校は、

登校も必須でなく、スクーリングもありません。

前期後期、年2回のテストとレポート提出のみでOKです。

 

ハードルはかなり低いはずです。

ですが、兄者は後期のテストも行かず

レポートも出さないまま。

 

これでは卒業ができません。

 

まだ体調がすぐれないとか、人前や学校へ行くことが

精神的に辛いとかならわかります。

でも兄者はいたって元気。

遊びにも行きますし、学校へも顔を出す。

 

でもテストは受けない。

レポートも出さない。

 

これにはちょっとキレました。

 

『高校は卒業したい』

そう決めて入った通信制高校です。

 

学校へ行くのは無理強いしないとしても

最低限しなくてはいけないことは、

本人も分かっているはず。

 

それでも動けないのはなぜ???

 

刻々と日が過ぎていく中、

焦る私と対照的な兄者にイライラが募ります。

 

卒業が2月と早く、書類関係も本校へ送らなければいけません。

とうとう学校からも、

「このままですと、卒業証書が間に合いません」

と言われてしまいました。

 

担任の先生に面談を申し込み、今の状況を話し合いました。

「もう先生、ムリです・・・」

言いながら涙があふれてきました。

 

せっかく入った学校。

先生にも友達にも恵まれ、

「楽しい!来てよかった」と話して

毎日元気に登校していたのに。

 

ここにきて、卒業できなければ

何のためにきたのだろう。

もうどうしていいのか分からない。

 

先生は私より一回り以上も若い方ですが

静かに話をきいてくださり

「家に行っても良いですか。

私も彼をみんなと一緒に卒業させたいです」

と言ってくださいました。

 

それから数日後。

担任の先生は連日我が家へ通ってくださり

兄者はギリッギリで

レポートを仕上げることができました。

 

なんとか、みんなと卒業です。

 

良かったぁ(´;ω;`)

不登校になって~家庭と育児と仕事と~

何のために仕事をしているのか

 

時々分からなくなる

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年末に心不全を起こした父が入院し

 

もちろん面会時間までに、仕事が終わるわけでもなく

 

父の身体も心配

兄者の学校も心配

弟君の様子も心配

 

すべてが中途半端に感じていました。

 

おまけに、毎日帰りが遅いのは

恐らく義実家にもバレバレです。

ううう・・・昨年の二の舞やないかい・・・

 

 

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それでも目の前の仕事が消えてくれる訳でもなく

とにかくひたすら、こなすしかなくて。

 

年末だからか寒い時期だからか

救急病院も混雑しているようで

大部屋が空かないため、

父もずっと個室に入院していました。

 

この病院が救急指定だからか

個室と言ってもソファーとシャワーしかついていないのに

室代が1日8000円もするんです( ノД`)シクシク…

 

かと言って平時に帰れないため、食事の管理もままならず

それならば入院していた方が安心ということもあり、

仕事が終わる1日前、12月30日に

長女に迎えに行ってもらうことに。

 

この時は特にひどく

年末は連続8日間勤務(法律違反やぞ)

もう意地とやけっぱちで仕事の鬼と化していました。

 

残業代、休日出勤代が

すべて病院代で飛んでいきました・・・

 

もうフラッフラで仕事納めをし

私が入院するんじゃという足取りで家に帰り

定例の義実家への年末のご挨拶。

 

退院ホヤホヤの父を伴い、

足取りもおぼつかない中、かわいそうですが

寒い冬の中出陣していきました。

 

もう玄関先でご挨拶。

もう父の入院はバレているものと思っていた私は

「昨日退院したばっかりで本調子ではないので・・・」

と早々に辞退表明すると

「入院してたの⁉聞いてないわ・・・・※§〇±ΓΔΨ!」

 

あああシマッタ(-_-;)

 

きつくて判断回路が鈍ってたんだな・・・・

 

玄関口で吠え立てる義両親でしたが

さすがにヨタヨタしている父をみて慌てたのか

「そんな状態でどうしてきたの!バカじゃない!」

とこれまた優しさなんだか労りなんだか(多分違うと思う)

よくワカラナイ言葉を投げつけられ

 

「はい、ですので明日の新年会、

父は欠席させていただきます」と告げると

アッサリOK。

よっしゃ(・∀・)

 

帰り道、父から

「いやーお前でかした。明日行かなくていいんだなー。

本当に助かる」と超嬉しそうな父上。

 

またこの日の大晦日は主人が夜勤で不在!

 

もうやっほい♫やっほい♫な気持ちです(笑)

 

子ども達は一足先に姉の家に行き

カウントダウンをするということで送っていきました。

 

 

家は私と父だけ。

鰻とすき焼きがちょこっと乗った簡単なお弁当を買い

二人で大晦日を過ごしました。

 

毎年大晦日の夜は義兄が酒を飲みに我が家へ来るので

父は気を使い、部屋から出てきません。

 

父と紅白を見るのなんて、十何年ぶりだろう。

 

父と二人でいるときは、私も子供に戻れる。

 

何も気負わなくていい。

ゆっくりとした、のんびりとした

心から幸せな時間でした。

 

そして、父と過ごす

最後の大晦日になりました。

不登校になって~怒涛の日々~

仕事、仕事、仕事・・・

 

生活にも、気持ちにも余裕がなくなっていく

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1年のうち、年末年始が一番多忙になる職場。

 

昨年入社してから、身をもって知りました。

 

「残業はほとんどない」と聞いていたものの

実質は『残業代がほとんど出ない』の間違いでした。

(途中労基が入り、12月と1月だけは出ました)

 

10月頃からじわじわと忙しくなり、

11月以降は昼休憩さえ取れません。

 

「休憩ちゃんと取ってねー」と言われるものの

ひっきりなしに(5分に1回)電話がかかってくるので

行きたくても行けない。

 

リフレッシュにもなるし、仕事の効率的にも

休憩を取った方がいいのは分かっています。

 

でも軽く食事を取って席に戻ると

電話とメールの「連絡ください」が山のように待っていて

その処理でまた仕事が押してしまう…の繰り返し。

それならば都度処理した方がマシ、となってしまうのです。

 

上司や先輩達は「休憩行ってね」とは言うものの

不在時の対応はおろか、クレーム処理の援護もしません。

自分たちはがっつり1時間休憩を取っておられる。

 

休憩室に行っての昼食は諦め、

おにぎりと一口で食べられるお菓子で

なんとか乗り切る日々でした。

(1年前から進歩してない)

 

なんだかな・・・と思わないでもないですが

実際やり取りをする業者さんも忙しいわけで。

なんとかフォローしたいと思ってしまうんですね。

 

おかげで気力体力は極限まで削られますが

関係事業者との結びつきは半端なく

こちらのかなりムチャなお願いにも

好意的にご対応頂けるほど、信頼関係は築けていました。

 

それでも、連日残業の日々はかなりつらい(´;ω;`)

 

しかも主人は家の事は全くノータッチ。

先に帰っていても、お菓子食べてテレビ見てるか寝ている。

 

食事の支度をお願いしても

「ムリ。俺できないもん」

・・・(-"-)

 

かと思えば

「洗濯とかカンタンじゃん。毎日仕事場でやってるし」

というのでお願いすると

脱水が止まっても知らん顔。

 

おい、そりゃ洗濯機のボタン押すだけなら

3歳児でもできるわ(# ゚Д゚)

 

すると見かねた子ども達が動いてくれました。

 

買い物も行けないため頼んでいた宅配セット⤴で

料理してくれたり、洗濯もしてくれたりと、

彼らなりに動いてくれ、本当に感謝でした。

 

でもこの年は、同居する私の父も病気だったため

精神的には、かなりきつかったです。

 

1週間なんとか持ちこたえ、やっと迎えた週末。

 

父なりにガマンしていたのでしょう。

遅めのお風呂から上がり、さあ寝ようという私に

『ちょっと・・・心臓が苦しい』

んんん???

「え、マジ?救急で病院行こうか」

『いや、大丈夫だけど一応言っとこうかと思って』

「大丈夫て・・・・明日朝からでもいいような感じ?」

『ウーン・・・なんか目つぶったら、そのまま逝っちゃいそうな感じ』

 

全然大丈夫やないじゃん!!!

 

大慌てで病院へ電話を入れ、とりあえずの入院セットをバックにぶち込み

主人には一応事情を説明し、父を連れて真夜中緊急病院へ。

 

 

そういや少し前からよく夜中息苦しいって言ってたもんな・・・

 

年末でも関係なく、救急指定病院は大混雑で。

かなりの間待たされ、ようやく検査室へ。

 

そこで少し気が抜けたのと、1週間の疲れがどっと出て

看護師さんに呼ばれているのにも気づかず爆睡。

肩をゆすられようやく起きました(;'∀')

 

やはり心不全を起こしているらしく、そのまま入院となりました。

 

この頃は、兄者はおろか弟君の事さえも

全く気にかける事ができず、

ただただ日々をこなすのに精一杯でした。

不登校になって~就活、フリーズ~

進学から就職への進路変更

 

何がしたいのか

何が向いているのか

 

大人だって難しいよね

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しばらくは平穏な日々。

 

沖縄の学校は兄者の希望とは違ったようで

その後話題に上ることはありませんでした。

 

それでも二人で旅行に行けたことは

とてもとても楽しいものだったので

ま、いっか(*'▽')くらいに考えていました。

 

そうはいっても、時間は過ぎていきます。

 

ヤングハローワークでは適正診断というのもあるらしく。

色んな質問に答えていく形で

自分に向いている職種を教えてくれるらしい。

 

実際、卒業した先輩で

この診断を受けて改めて気づいたこともあり、

その後就職先を全く違う業種にした子もいました。

 

自分では分からないことも

いろんな力を借りながら

進む方向が見えてくればよいな、と思います。

 

担任の先生からも「一緒に行ってみない?」

とお誘いがありましたが、なかなか学校へ行くことがなく。

 

そうこうしてるうちに年末に向け

私の仕事が無茶苦茶に忙しくなり

あまり兄者を気にかける余裕がなくなっていきました。